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人生に失敗はない、次に向かう大谷選手 [◆教育の役割 「教育は日本を変える」]

 MLBの大谷選手が、2度目の先発で7回途中までパーフェクトピッチングをしました。

 試合後のインタビューで彼は「ヒットを打たれてないのは知ってましたが、完全試合をしようという感じはなかったです。むしろいつ出るか待っていました。(ヒットが)出た時にどう気持ちを整理して次のバッターにしっかり向かって行けるかが大切で、そういう意味では打たれた後にフォアボールを出したのは今日よくなかったことです」

 「打たれた後に気持ちを整理して次に向かって行けるかが大切」と言えるところが凄いと思いました。彼は「ヒットを打たれた後フォアボールを出したことが良くなかったこと」と反省し、次に活かそうとしているのです。

 ただ、どんなに彼が素晴らしい投手であっても、この先全て良いピッチングをして、全ての試合で勝利を収めることはできないでしょう。

 しかし彼ならば上手く行かなくても、それを糧として成長し続けることができると思います。

 さらに、どんなに良いピッチングをしても彼自身が満足せず、常により高いレベルをめざし続けるのなら、誰よりも大谷選手は記録と記憶に残る選手となって行くのではないでしょうか。

 パーフェクトな人生はあり得ません。むしろヒットを打たれてばかりで、三振なんか一つも取れないようなのが人生かもしれませんが、そこから今の自分にないモノを得ることができるのなら、それは失敗ではありません。いつか訪れる成功のための糧なのです。

 うまく行かなかった時、そこから自分を高めるためには、結果を恐れず一生懸命にやる事(投げる事)が大切です。上手く行かなかった時(ヒットを打たれた時)の理由が明確になるからです。そして、結果から目をそむけず受け入れて(整理して)、新たな目標に向けて一歩踏み出す(次のバッターにしっかり向かって行く)のです。

 人は全員、全てのことを成功させることはできません。しかし、上手く行かなかったことを教訓として次に活かすことはできるはずです。

 人生に失敗は有りません。だから、今を一生懸命に生きたいものです。

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小学生・中学生の学習法4 「理由がわからない公式は凶器!?」 [◆教育の役割 「教育は日本を変える」]

 親の時代と子の時代は今でも暗記型学習が継続されています。もちろん親の時代でも暗記型の学習をしていなかった人もいますが、親の時代は暗記型の学習が通用した時代であったということです。ですから、保護者様から「覚えれば(暗記すれば)できる」という声が聞こえてくるのは無理がありません。むしろそれが普通だった時代ということも言えると思います。

 しかし、暗記型学習は学力を伸ばすことができないということを認識する必要があります。

 高校生や大学生がアルバイトをするとそこにマニュアルがあり、マニュアル通りに仕事を行うことになります。ところがそこには理由が書いてありません。マニュアルは手順の指示書であるため理由は不要なのです。しかもマニュアル通り仕事をしなければ、企業にとって大切な改善ができないのです。

 又、学校の成績が「3以下」の子たちを中心に集めている学習塾があり、そこでは講師に理由を教える事を禁止しています。学校の試験で得点が取れることが目的だからです。そこで学んだ子たちは、本当の学力がつくでしょうか。せっかく合格したのに勉強についていけるでしょうか。社会に出て活躍できるでしょうか。そして幸せになれるでしょうか。

 問題を解くために知識は絶対に必要ですが、「暗記をしても問題は解けない」のです。「暗記教科は存在しない」のです。速さの問題が得意な人は、速さの公式を覚えていません。実際中学生までの数学で暗記しなければいけない公式、つまり知識から導けない公式はほとんどありません。ただしそれらも検証はできますから、公式を丸暗記する必要は全くないのです。

 むしろ、理由がわからない公式(意味がわからない公式)を覚えて解こうとしても良いことは有りません。覚えているから忘れたり、覚えているから応用できなかったり、たくさん覚えていないといけなかったりします。わかっていれば公式を自分でつくれますし、公式を使わずにできたり、形が変わった問題にでも応用できたり、少しの知識で無限の問題が解けるのです。覚えている人は覚えた数しか問題が解けませんし、問題を解くために公式ややり方を覚え続けることになります。それには限界がある事は言うまでも有りません。

 公式や解き方は“道具”に過ぎません。どうしてそのような道具があるのか、どのように使うのかを理解していなければ、使いこなすことはできません。目的を誤れば凶器にもなってしまうのです。

 「速さの公式は、速さ=距離÷時間 です。それでは3時間で60㎞進んだ時の速さはいくらでしょう?」と授業をすると、子供たちは公式に3時間と60㎞を当てはめる事に頭を使い、正解を喜ぶことになるでしょう。

 「3時間で60㎞進みました。1時間に何㎞進みましたか?」とすれば公式は不要で、しかも「1時間に進んだ距離を速さと言うんだよ」と言えばいいのではないでしょうか。

 いぶき学院の中学3年生は因数分解が終わり、平方根の学習に入っていますが、全員「乗法公式」を使わずに教科書レベル以上の因数分解がわかります。

 子供達には考える力が満ち満ちています。我々はそれを引き出すことが役割だと考えています。

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言ってはいけない言葉 [◆教育の役割 「教育は日本を変える」]

『勉強しなさい』少なくとも中学生以上には逆効果です。理由は本人が「やらないとまずい」ことを知っているからです。やろうと思っているのに先に言われたら、逆にやる気をなくします。
やれない理由があって悩んでいるところで言われたら、自分の事を分かってくれないと反発をするでしょう。

 我々ができる事は、受験の仕組を伝え正しい知識と情報を持ってもらう事と、志望校に合格した後の将来について考えてもらう事です。その上で勉強をしない理由を分かってあげる事、そしてそれに対して、我々のできる協力をすることだけです。我慢して見守る事が親の役割です。


 『覚えればできる』最近多く耳にすることは、「勉強ができなくなった」、「頑張っているのにできない」、「勉強法がわからない」、「時間が経つと忘れる」等です。それらの共通の原因は『覚えることが勉強』という意識を持っていることのような気がします。

 理由もなく覚えたものは短期記憶であり、忘れることも早く、覚えた問題しか解けません。さらに、理由を記述で聞かれても答えられません。『覚えればできる』の背景には、結果重視、合格重視の考えがあると考えられます。

 人生100年、学校を出た後の人生の方が圧倒的に長いわけですから、目の前の結果に追われてその後の成長を止めることは避けねばなりません。

 大切なのは、受験や勉強を通して得たものです。目標に向けて一生懸命に頑張った気持ちとその経験。問題を解くためのテクニックではなく、問題文の理解とそこからの発想。そして合格が通過点であるという認識です。

 覚えて合格した人は、考えることよりも暗記で問題を解決しようとしたわけですから、それからの残りの人生どうなってしまうのでしょうか?覚えなければ行動できず、覚えていることしかできないことになります。すこしの状況の変化にも対応できません。
 
 しかし、覚えなければ忘れない。理解して考える人は、無限の可能性がそこに生まれるのです。

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勉強ができるようにならないのは… [◆教育の役割 「教育は日本を変える」]

 「こんな勉強をしても大人になって使わない」と言う人がいるが、そもそも学校の勉強は大人になって使うためにやるのではない。勉強をする事や勉強を頑張る事に意義がある。それにより人間力を高められるからだ。そして、直接的に使わない勉強でも、そこからの気づきや発見が将来役に立つのだ。

 だからこそ、答を出すとか、良い点数を取るとか、良い成績を取るとかが将来重要な事ではない。「でもそれでは志望校に合格できないのではないか?」と思うかもしれないが、そこを第一に考えない方が結果は良くなる。急がば回れでそこを急ぐことで取り返しのつかないことが起きてしまう。

① 「わからなければ覚えてしまえ」に先はない。思考を止めて記憶に切り替えることになります。その後は全て記憶に頼ることになり、全て記憶できない事は当然なので、応用力もなく学力はつかない。「暗記教科」は存在しないのだ。

② 「公式を覚えて代入する」は覚えてしまえと同様の事が言える。もし公式を覚えて活用するならば、公式を導けるようにすることと、公式の意味を理解することが重要だ。そして、何のための公式であるかという公式の目的もわかっていないと、使い方を誤る。

③ 「試験前は頑張る」のは当然だが、学力をつけようとしたならば普段の授業が重要で、授業中にどれだけ集中して理解できるかが勝負だ。家に帰ってわからないところを復習するのではなく、わかっているところを復習する人が伸びる。家庭学習では理解を深めるための復習と単語や漢字、語句を理解した事に合わせて身に付けるようにするのだ。

④ 「わからないところを教えてもらう」ことは少しすっきりするかもしれないが、学力はつかない。わからないところを考え直すこと、わからないことの理解することならば良い。教えてもらう場合に他人のやり方を覚える形になる事が危険だ。なぜならそこに理解は無いからだ。

⑤ 「わからなくなったから頑張る」人は次へのステップに遅れてしまう事になる。頑張る人は、わからなくなってしまって今頑張っている場合と、わからなくならないために今頑張っている人に分類できる。どうせ頑張るなら、後始末より準備である。

結果を急がず、今やっていることをきっちりとやり遂げることで、目標達成を目指すこと。目の前の結果にとらわれず、先々困らないように、本当に頑張る時のために学習の抜けをつくらないことである。

勉強ができるようになる人と、ならない人の差は紙一重である。しかし、その差は時が経つにつれ大きな差となっていくのだ。


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コミュニケーションが取れない [◆教育の役割 「教育は日本を変える」]

 こんなお医者さんがいる。診察をしてその結果や考えを一生懸命に伝えると患者が不安になる。患者がその気持ちを話したり質問したりすると、一生懸命に丁寧に応えているのだが患者の不安は解消されない。

 それは何故だろうと観察しているとある事に気づく。それは一生懸命に自分の考えを伝えよう、分かってもらおうとしているのだが、患者の話を聞いていないことである。患者がどうして不安なのか、どんな意図を持って聞いているのかが分からないのに、自分の話を分かってもらおうとしているからだ。

 「コミュニケーションが取れない」、「コミュニケーションが苦手」ということを耳にするが、コミュニケーションの基本は聞く事、相手の気持ちを分かってあげることだ。一見話し上手で話し出すと止まらない人は、本当にコミュニケーションが取れているのだろうか。コミュニケーションは一方通行ではない。いくら話をしても相手が聞いてくれなかったり、解ってくれなかったりしたらコミュニケーションが取れているとは言わない。一方的に話をしても相手がしっかり話を聞いてくれて、分かってくれたならコミュニケーションが取れたのではないか。

 「相手に対して何を話したらいいか」と悩まずに、「相手の話を聞こう」と考えると気も楽だし、真剣に聞いてあげてうなずくだけでも充分だ。解らない話や言葉は「それはどんな意味なんですか?」と聞けばいい。わかったようなふりをしていると、話が先に進んで益々わからなくなり、うなずくこともできなくなる。聞くと相手は話を聞こうとしてくれているあなたに、喜んで話をしてくれるはずだ。

 勉強では、記述式の問題が増えている。都立の中高一貫校の適性検査は、ほぼ記述。だからここで勘違いが起きる。「表現力が大切だ」、「自分の考えを言葉にして書く力が必要だ」と。記述の問題は、自分の好きな事を書きなさいと言う問題ではなく、題材が与えられていてそれに対して、気づいたこと考えた事を書くのだ。だから簡単なのだ。与えられた題材の“話を聞いてあげる”、“題材を分かってあげる”ことをすればいいのだから。

 作文や小論文でも題材が与えられている。それに対して自分の意見考えを書く。

 それらは、人と人とのコミュニケーションと似ている。コミュニケーションが相手の話を聞いてわかってあげる事から始まると同様に、記述、作文、小論文も題材を見て読んで、題材を分かってあげる事から始まる。

 「コミュニケーションが話す力であり、記述の問題は表現力である」ことは間違いはないが、「コミュニケーションし聞く力であり、記述の問題は読み取る力である」ことが前提としてある事を忘れてはいけない。

 どんな事でもわかろうとすることから始まる!



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教わらないことの大切さ [◆教育の役割 「教育は日本を変える」]

 人は一生成長し続けることができます。いや、『成長し続ける能力』があるのです。ところが大人になって伸び悩む人も少なくありません。どうしてでしょうか?伸び悩んでいる人の話を聞くと、「教わっていない」とか「知らなかった」、「聞いていない」、「身につかなかった」、「自分に合っていなかった」、「そもそも初めから嫌だった」・・・だんだん訳が分からなくなります。

 本来、自分自身に起きていることは自分に問題があり、自分の責任であるはずです。ところが伸び悩んでいる人の中には、自分以外に原因を作っている人もいます。それでは伸びること、つまり成長すること、言い換えれば“自分を変えること”はできません。

 勉強で新しい単元に入った時、誰もまだ教わっていませんし、知らないことの学習になります。そこで、「教えてください。教わらないとわかりません。」となるのか、自分自身で考えて、「なぜ、どうして。」と理解しようとするのかで差が付きます。わかろうとする子では新しい内容が身につき、それを利用して別の問題(応用問題や難問)に対しても積極的に取り組み、学力を伸ばしていくことができるのです。

 小学生の算数で、「台形の面積を求めよう!」と紙で切った台形を渡して考えてもらうと、教えなくても子供たちが自分自身で5通りくらいの方法を見つけ出します。(上底+下底)×高さ÷2という解き方は、そのうちの1つにすぎません。自分で学んで得たことと、誰かに教わって意味も理由もわからず、数字を当てはめて答えを出すのとは大違いです。

 ところが、中高生の中には教わる癖がついてしまい、考えればわかることを考えようとしなくなる子が出てくるのです。

 教わる学習は、「答えを出す。得点を取る。良い成績を得る。」という点では結果として、自らわかろうとする学習と同じかもしれませんが、将来のことを考えると、誰かに教わり教わった通りに行動していくことよりも、自ら知らないこと分からないことを学んで行動していくことが望ましいことです。

 ただ、教わる学習が悪いことと言うことではありません。意味を考えないで覚えること、理由もわからず使うこと、目的もわからず利用することが一生涯の成長を妨げる要因ではないかということです。また、教わらないとわからない知識(定義、語句など)は教わるか調べるかして身に着ける必要は当然あります。

 しかし、基礎知識を身に着けて、それを活用して新しい問題を解決していく力をつけるためには、「教わらない」こと、「自ら学ぶ」ことが大切です。「自ら学ぶ」ことで今まで誰もわからなかったことを解明したり、新しい技術を開発したりすることができるのではないでしょうか。教わらないとできない人は、誰もやった事がないことはできませんし、自ら新しい道を開拓することはできません。

 したがって、一生涯成長できるようになるために「勉強を教える」ということは、問題の解き方を伝えてその通りに子供達にやらせることではありません。それでは教わらないとできない、意味も目的も考えられない人間になってしまいます。

 我々は、いかに教えないで、塾生が自分自身で考え理解して新しい知識を身に着けていけるかを常に意識して指導しています。それをすることで、子供たちの持っている『成長し続ける能力』を最大限発揮できると考えています。


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