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自分に合う学校はない!? [◆徒然なるままに 「自分らしく生きる」]

 以前こんなことを書いたことがある・・・
 「A高校に行きたいんだけれど、あの高校は挨拶ができていないと思った。だから悩んでいるんだ。」というB子さんに「だったら入ってからB子が、『挨拶をする学校』に変えればいいんだよ。」と話したら、B子さんはA高校を受験して“合格”。
そして、生徒会長になって『挨拶をする学校』にした。


 私の同級生が高校を転校して行った、剣道をやっていたM子は転校先の高校に剣道部が無かったので、高校2年生の時に自ら剣道部を設立。そして1年間で県で上位のレベルに引き上げた。ちなみに彼女は高卒後東京に出てきて大活躍をしている。

 自分が好きで入った学校でも何かがおかしい、何かが違う。そう、自分に完璧に合う学校は存在しないのだ。すごく気に入った学校でも、多少嫌なところは出てくる。それを、学校や先生のせいにしたり、「学校が合わない」、「第一志望でなかった」と言い訳をしても何もいいことはない。逃げずに前を向くしかないのだ。

 どんな学校に入っても楽しいことばかりあるわけではない。だから嫌なことを受け入れ我慢することも必要になる。さらに自分のために、学校のために、友達のために学校を変えることは有りだと思う。そして、それは可能な事である。そんなことができたなら、その学校があなたにとってベストの学校となる。

 「進学した学校があなたにとって一番いい学校である」ということを肝に銘じて欲しい。

 今の社会にしても、会社に生活の面倒を見てもらう時代ではない。会社の面倒を見る時代だ。「自分が変えていく!」という気概を持って生きていけば、どんな学校でも職場でもやりがいを持ってやっていけると思う。

 みんながそんな気持ちを持っていけば、世の中もより良く変えていけるのではないだろうか。

1歩前に出ると未来が見えてくる [◆徒然なるままに 「自分らしく生きる」]

私立中受験が終えて、大学受験と高校受験の際中。入試が終わっていない人もいる。もちろん合否が出ていない人もいるだろう。

結果は誰もわからない。たとえ結果がどうであれ、君の努力は君自身が知っているはずだ。「誰が何と言おうと君は頑張った!」

努力は決して裏切らない。
それは結果に対してではなく、これからの人生に対してだ。

今までに、入試前にお母さんからこんな電話を2回だけだがいただいたことがある。泣き虫な私は2回とも、受話器の向こうのお母さんと一緒に泣いた。

「鈴木先生。あれだけ頑張った我が子を見たことがありません。不合格でも構いません。私はあの子を誇りに思います。」

志望校合格に向けで必死に頑張ったなら、どんな結果になっても悔いは残らない。次に向けで、自分の足で誰の力を借りずとも進んで行ける。

迷わず、逃げず、恐れずに勇気を持って1歩前に出てみよう。
必ず未来が見えてくる。

“行かなくても卒業できる!”中学生の不登校② [◆教育の役割 「教育は日本を変える」]

 不登校となり、いぶきにも来なくなった子は我々にはどうすることもできません。ただ、今までそこから約半数が学校に通い始めたり進学したりするようになっています。それは、何らかの形で連絡を辛抱強く取り合っているうちに、いぶきに「行く」と言い出すことから始まります。その子たちは自分の意思で行動を起こしたわけですから、その後は勉強も頑張れるようになり進学していくことになります。

 不登校の要因は様々ですし、学校へ通い始めたり進学したりするために克服しなければならないことも様々ですが、学校復帰するためには、少なくとも学校に戻っても他の子たちと一緒に勉強できるための学力は必要だと思います。復帰した子たちは皆、それなりの学力を持っていました。「学校へ来ていないのに・・・と学校の先生に驚かれた」と言う話は良く聞くことです。

 不登校の要因は様々と申し上げましたが、その要因は単純ではなく色々なことが絡み合って、不登校に結びついています。それなりの学力が必要なのは、通い始めるための不安感、障害の一つにそれがなるからです。

 しかし、それだけでは復帰できません。大切なことは家族の協力です。いじめ、成績、学校の先生…表面上の要因として挙がってこなくても、家族にも不登校となる要因は少なからずあると考えておくことです。不登校の要因が家族に無いとしても、復帰するためには家族の協力と努力が必要です。不登校となった場合、私と話をする時間が長いのは本人よりも家族です。家族が変わらずして不登校の解決はありません。本人が通い易くなるように周り(学校、先生、友達)が変わることも解決に結びつきますが、最終的には本人の気持ちが変わらなければ本当の解決になりません。別の学校へ行っても、新しい環境になっても同じことが繰り返されることも有ります。そのためにも大切なのは家族の意識であると思います。

 家族一人ひとりが自分自身を客観的に捉え、原因があると思われる周りにだけ目を向けるのではなく、本人にも目を向けていくことです。問題点の本質とこれからの展望が見えてくれば、解決に必ずつながると思います。

“受験結果”で未来は決まらない [◆教育の役割 「教育は日本を変える」]

 私立中に合格!  高校に合格!  大学に合格!  採用試験に合格!

 合格しても将来が約束されることはありません。頑張って合格した学校も卒業できるかどうか分かりません。そして4年制大学を卒業しても正社員になれる人は約半分。就職しても3年以内に3分の1程度は辞めて行く。もちろん一流企業でもいつどうなるか分からない時代。その傾向は益々強くなっています。
 
 “合格”は誰でも嬉しい事ですが、「勝って兜の緒を締めよ」が大切です。又、逆にそういう世の中だからこそ合格できなくても、逃げ出さず諦めなければ必ず夢は叶うのです。
 
 1月23日、大相撲で稀勢の里の横綱昇進が決まりました。横綱になるチャンスを何度も逃してきた稀勢の里は「腐らず我慢してきてよかった」と言っています。

 受験の結果では未来は決まりません。人を成長させるのは受験前、勝負は受験後です。受験はあくまでも通過点であり、その結果の受け止め方で未来が変わります。

 又、受験の結果は誰もわかりませんし、誰も覆すことはできません。ですから結果は受け入れるしかないのです。

 受験後に自分自身を見失わずに自己成長を遂げるため、まず受験前にどれだけ自分を鍛えられるかがポイントです。

 あなたの未来のためにあなたができることは、「精一杯やること」、「結果を受け入れること」、「一歩前に進むこと」なのです。


中高入試直前!「学校を休む受験生」 [◆教育の役割 「教育は日本を変える」]

 さて、1月22日から私立高校の推薦入試から始まり都立高校の推薦入試、そして2月1日から私立中受験が始まります。高校の一般入試は私立高校が2月10日から、さらに都立高校は2月24日が受験日です。

 毎年思うことですが、入試が近くなると、あるいは入試前日に学校を休む小中学生がいます。先日、芸能活動のために学校に行かせなかった親がいましたが、学校に行かないということではこれと同じではないでしょうか?受験校が自宅から遠いとか、体調が芳しくないなど何らかの事情がある場合を除いて、入試が近いという理由での欠席には私は賛成できません。

① 試験日は前から決まっているもの、その決まっている試験に合わせて学習をしているはず。勉強が間に合わないから学校を休んで勉強するということは無計画すぎる。つまり自分の責任である。その自分の責任を「学校を休む」という形で、別のモノに取らせてはいけない。自分で責任を取るべき。

② 間際に休むということは、心のゆとりがない証拠。学力があっても当日、気持ちで負けてしまう可能性がある。学校にきちんと行って、「なるようになるさ」くらいの子の方が力を発揮することができる。

③ 受験をすることは本人の希望である。特に中学受験はしなくても中学生にはなれるので、100%本人の意思である。入試当日は学校を欠席することは仕方のないことであるが、自分の都合での受験で当日以外も欠席すること、欠席させることは、あまりにも我儘すぎる。自分勝手すぎると私は思う。高校受験では受験をしないと進学ができないので、これも入試当日の欠席は仕方がない。しかし、中学校を何日も前から欠席することはいかがなものか。中学校の先生方は全員高校に合格させようと、一生懸命指導しているはずである。忙しい中生徒のために準備をして授業に備えているはずである。それで生徒が欠席となったら先生もつらく悲しいのではないか。高校受験は受験のための授業をしていない中学校受験と比べて、まったく休む理由はないはずである。

 いぶき学院の塾生は学校を休まないように指導している。学習塾の中には学校を休ませて勉強をさせているところがあると聞いたことがあるが、「それはやめましょうよ!」と言いたい。学校へ行くことも受験勉強(将来のためになる)ではないですか。

 何のための受験で、何のための合格なんですか。子供たちの未来のための受験であり合格であるはずです。それが、学習塾のための(進学実績のための)合格にすり替わっていませんか。「いや、純粋に子供たちに合格させて開けたいんだ」と言う方もいらっしゃるかもしれません。しかし、自分の都合で本来行くべき学校へ行かないことや、みんなでやっていることをしないことは、ただの我儘でしかありません。「無理が通れば道理引っ込む」小中学生の時にそんな経験をさせてしまって、未来の幸せがあるのでしょうか。そして、そんな子供たちが一流?と言われている学校に合格して、将来日本にとって大切な仕事を担うことになったとしたら、こんなに怖いことはありません。そんな日本を私は創りたくありません。

 目の前の合格が欲しい学習塾関係者、そして保護者の皆様。本当に大切なのは、目の前の合格ですか、人間性ですか。

「考える」ということ [◆教育の役割 「教育は日本を変える」]

 小6の算数です。考えてみてください。

  「1㎡=1     ㎠ 1の次に0が何個入りますか?」

 皆さんが最初に考えたことは何でしたか?

 まず「0が何個入るか」と考えましたか
 それとも「1㎡の広さ」について考えましたか

 今、危険な考え方が増えているような気がしてなりません。どんな勉強でも同じですが、絶対に勉強ができるようにならない考え方をする子が目立つ気がします。そのような子の思考システムは一生涯、全ての事に作動しますから、本来すべての事から学べるはずなのに、学べなくなってしまいます。しかもどんなに時間をかけても、どんなに努力をしても・・・。

 「考えない子」が増えている。いや、「考えるところがずれている子」が増えている。全然考えていないと思える子でも、一生懸命に考えているのです。“答”を。
本来考えるべきは“問題”です。仮定がわかっていないのに結論を出そうとするのです。今どこにいるのかわからないのに、目的地に向かおうとするのです。

 「1㎡の広さ」について考えた子は全員できました。しかし答を出そうと「0の数」を考えていた子はできません。(ところが厄介なのは「0の数」がたまたま当たってしまい、丸を付けられることです。適当に答えて正解をゲットできたら、難しいことを考えずに「答つくり」に励むことになります。)

 「答が出ればいい」、「結果が良ければいい」となると勉強の方向性が、頑張っても伸びない方へ向いていきます。

 問題に書いてある数字を組み合わせて「たすのかな引くのかな・・・」となる子。「線分ABの長さを求めなさい」と言われて、定規で測ろうとしたことはありませんか。
 国語でも「7字で抜き出しなさい」と言う当てはまる適切な意味の文(語)を考えずに、「1,2,3,4,5…」と数えまくり、字数が合ったらそれを解答用紙に記入する。「指示語“それ”がさすことは何ですか」と言う問題も、文章の脈略、内容を無視して「“それ”の前だけを見て答を探す」ことになります。

 考えるのは、答ではなく問題です。問題を理解せずに、答をつくってはいけません。答が出なくても正解でなくても、全然構いません。問題を理解しようとすることが学力を高めます。現状の把握が問題を解決に導きます。現実を受け入れることが人間の成長に結びつくのです。

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