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中高入試直前!「学校を休む受験生」 [◆教育の役割 「教育は日本を変える」]

 さて、1月22日から私立高校の推薦入試から始まり都立高校の推薦入試、そして2月1日から私立中受験が始まります。高校の一般入試は私立高校が2月10日から、さらに都立高校は2月24日が受験日です。

 毎年思うことですが、入試が近くなると、あるいは入試前日に学校を休む小中学生がいます。先日、芸能活動のために学校に行かせなかった親がいましたが、学校に行かないということではこれと同じではないでしょうか?受験校が自宅から遠いとか、体調が芳しくないなど何らかの事情がある場合を除いて、入試が近いという理由での欠席には私は賛成できません。

① 試験日は前から決まっているもの、その決まっている試験に合わせて学習をしているはず。勉強が間に合わないから学校を休んで勉強するということは無計画すぎる。つまり自分の責任である。その自分の責任を「学校を休む」という形で、別のモノに取らせてはいけない。自分で責任を取るべき。

② 間際に休むということは、心のゆとりがない証拠。学力があっても当日、気持ちで負けてしまう可能性がある。学校にきちんと行って、「なるようになるさ」くらいの子の方が力を発揮することができる。

③ 受験をすることは本人の希望である。特に中学受験はしなくても中学生にはなれるので、100%本人の意思である。入試当日は学校を欠席することは仕方のないことであるが、自分の都合での受験で当日以外も欠席すること、欠席させることは、あまりにも我儘すぎる。自分勝手すぎると私は思う。高校受験では受験をしないと進学ができないので、これも入試当日の欠席は仕方がない。しかし、中学校を何日も前から欠席することはいかがなものか。中学校の先生方は全員高校に合格させようと、一生懸命指導しているはずである。忙しい中生徒のために準備をして授業に備えているはずである。それで生徒が欠席となったら先生もつらく悲しいのではないか。高校受験は受験のための授業をしていない中学校受験と比べて、まったく休む理由はないはずである。

 いぶき学院の塾生は学校を休まないように指導している。学習塾の中には学校を休ませて勉強をさせているところがあると聞いたことがあるが、「それはやめましょうよ!」と言いたい。学校へ行くことも受験勉強(将来のためになる)ではないですか。

 何のための受験で、何のための合格なんですか。子供たちの未来のための受験であり合格であるはずです。それが、学習塾のための(進学実績のための)合格にすり替わっていませんか。「いや、純粋に子供たちに合格させて開けたいんだ」と言う方もいらっしゃるかもしれません。しかし、自分の都合で本来行くべき学校へ行かないことや、みんなでやっていることをしないことは、ただの我儘でしかありません。「無理が通れば道理引っ込む」小中学生の時にそんな経験をさせてしまって、未来の幸せがあるのでしょうか。そして、そんな子供たちが一流?と言われている学校に合格して、将来日本にとって大切な仕事を担うことになったとしたら、こんなに怖いことはありません。そんな日本を私は創りたくありません。

 目の前の合格が欲しい学習塾関係者、そして保護者の皆様。本当に大切なのは、目の前の合格ですか、人間性ですか。

「考える」ということ [◆教育の役割 「教育は日本を変える」]

 小6の算数です。考えてみてください。

  「1㎡=1     ㎠ 1の次に0が何個入りますか?」

 皆さんが最初に考えたことは何でしたか?

 まず「0が何個入るか」と考えましたか
 それとも「1㎡の広さ」について考えましたか

 今、危険な考え方が増えているような気がしてなりません。どんな勉強でも同じですが、絶対に勉強ができるようにならない考え方をする子が目立つ気がします。そのような子の思考システムは一生涯、全ての事に作動しますから、本来すべての事から学べるはずなのに、学べなくなってしまいます。しかもどんなに時間をかけても、どんなに努力をしても・・・。

 「考えない子」が増えている。いや、「考えるところがずれている子」が増えている。全然考えていないと思える子でも、一生懸命に考えているのです。“答”を。
本来考えるべきは“問題”です。仮定がわかっていないのに結論を出そうとするのです。今どこにいるのかわからないのに、目的地に向かおうとするのです。

 「1㎡の広さ」について考えた子は全員できました。しかし答を出そうと「0の数」を考えていた子はできません。(ところが厄介なのは「0の数」がたまたま当たってしまい、丸を付けられることです。適当に答えて正解をゲットできたら、難しいことを考えずに「答つくり」に励むことになります。)

 「答が出ればいい」、「結果が良ければいい」となると勉強の方向性が、頑張っても伸びない方へ向いていきます。

 問題に書いてある数字を組み合わせて「たすのかな引くのかな・・・」となる子。「線分ABの長さを求めなさい」と言われて、定規で測ろうとしたことはありませんか。
 国語でも「7字で抜き出しなさい」と言う当てはまる適切な意味の文(語)を考えずに、「1,2,3,4,5…」と数えまくり、字数が合ったらそれを解答用紙に記入する。「指示語“それ”がさすことは何ですか」と言う問題も、文章の脈略、内容を無視して「“それ”の前だけを見て答を探す」ことになります。

 考えるのは、答ではなく問題です。問題を理解せずに、答をつくってはいけません。答が出なくても正解でなくても、全然構いません。問題を理解しようとすることが学力を高めます。現状の把握が問題を解決に導きます。現実を受け入れることが人間の成長に結びつくのです。

“行かなくても卒業できる!?”中学生の不登校① [◆教育の役割 「教育は日本を変える」]

 国民の3大義務、「勤労」、「納税」、「教育」。ところが、「ニート」、「フリーター」、「不登校」は義務を果たしていません。日本は学校へ行かなくても多くは中学校卒業となり、勤労できなければ税金を納めるどころか生活保護により生活できるのです。確かに本当に学校に通えない子もいますし、働くことが困難な人もいるのです。しかし、学校へ行ける子も、働くことができる人もいるのではないでしょうか。

 私が小中学生の頃は、学校へ行かないということは考えられなかったです。学校に来られない友達はいました。でも、それは特別な事であって、だから「行かなくていい」とはだれも考えなかったと思います。凄くいじめられている子もいましたし、仲間外れの子、勉強が本当に苦手な子もいました。でも、学校にはみんな来ていました。

 もちろんわたしは、小中学生は学校に行くものと考えていますが、不登校の子や親に対して、「学校に行かなくてもいいじゃないですか」と言う時も有ります。それは、お父さんやお母さんが、「子供が学校に行かないことがこの世の終わり」みたいになっていたり、本人が「行かなければいけない」ということで、強いストレスを感じているような場合に、気持ちを落ち着かせるためです。

 今まで何人もの不登校の子と接してきました。不登校になってしまってから、いぶきに来る子もいますし、いぶきに通っている子が不登校になる事もあります。原因もそれぞれ異なりますので、その対応は完全に1人ひとり異なります。

 いぶきに通っている子が不登校になった場合、ほとんどの子は学校には行かなくてもいぶきには来ていました。この場合は不登校から脱したり、全日制の高校に進学していくケースが多くあります。しかし、どうしても全日制の高校に通えず、通信制の高校に通う子もいます。通信制に通いながらいぶきにも来て勉強し進学していった子も何人もいます。不登校となった場合、外の社会、家族以外の人との接点はいぶきしかありません。そこで何とか彼らは踏ん張って何人も復活していきました。

 学習塾の役割の1つとして、“居場所になる”ことがあると考えています。どこにも居場所がない子が、いぶきに来ると安心する。先生たちとおしゃべりしたり、友達たちと一緒に楽しく過ごせる。いぶきは居心地の良い空間になっているのです。成績を上げることや、志望校に合格することが目的ではなく、自分の存在そのものを確認することが目的になっている子もいます。そこから、少しずつその他の場所に出かけるようになったり、学校へ通うことや社会へ出るきっかけとなっていくのです。

続く


新年を迎えられ ありがとうございます [◆徒然なるままに 「自分らしく生きる」]

元旦 今年も恒例の湯島天神初詣。30年間で29回目の初詣。1回だけ行かなかったのは平成9年である。その年はいぶき学院設立の年で正月に塾生がいなかったからだ。一緒に行く塾生は少ない時で2名、多い時は20名を超えた。
湯島天神も本堂まで行く道程がこの30年間で変わり、御徒町から歩いて行き、地下鉄の湯島駅を大きく左から回り込むようになった。以前はすぐそばの石段を登ったものだが、境内は大変な混みようでお守り1つ買うのにも大変な思いをした。今は境内に入る前には並ぶが、入ってからは人が少なくなるように規制されているため快適である。
さて、湯島天神に着くと最初に本堂にお参りをすることになる。「初詣だから何をお祈りするか良く考えておけばよかった」なんて考えているうちに、賽銭箱の目の前に立つ。アドリブでお祈りするのだが、明らかにこの10数年のお祈りの内容の変化がある。それは必ず「健康でありますように」とお祈りするようになったことだ。

年賀状を今年もいただいた。その中に「お元気ですか」という文字が目立つ気がする。「お元気ですか」の意味として、しばらく会っていないということは当然あると考えられるが、友達たちも年を取り健康については気配りが必要になっているのだろうと思う。そして、私自身も「健康」という言葉に敏感になっていることも当然ある。

30年前、健康が当たり前と思っていた自分がいた。1年経つのが当然だと思っていたし、1年間生きることが当たり前だと思っていた。
でも今は、1年間生きて、湯島天神に子供達と一緒に行けること年賀状をいただけることは凄いことだと思う。昨年もたくさんの方々に生かさせていただいた。自分は幸せ者だとつくづく思う。新年を迎え皆さんに感謝をしたい。

生きていけることはありがたいことで、これからは「今1年良い年でありますように。よろしくお願いします。」お祈りする前に、まず「1年過ごすことができました。ありがとうございます。」とお礼をしなければいけないなぁと思う。
今年の抱負は「湯島天神に来年お礼を言いに行けるようにする」ことだ。