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無くなって良い学習塾はない③:『経営』と『教育』 [◆学習塾 「活動と学習塾団体」]

 学習塾には色々な営業がやってくる。

 いぶき学院がお付き合いしている教材会社は別として、電話、FAX、メール、飛込みで突然来る人もいる。

 その営業は、「LED照明にしませんか」、「コピー機入れ替えませんか」と設備に関するモノも多いが、何といっても多いのは塾生募集に関するモノだ。広告宣伝、チラシ、ポスター、のぼり、電光掲示板、DMリスト、保護者様との連絡ツール、教材(タブレット、映像)、そして、集客セミナーである。

 つまり、営業は塾生を集めるためのツールやセミナーが圧倒的に多い。後は人件費削減のためにPC等を活用するシステムだ。

 私は教育を良くしたい教育を改革したいと決意して、今の道を進んでいる。したがって、頭の中は『教育』で一杯だ。ご相談を受けても、いぶき学院で学ぶより別の学習塾、別の方法が良いと思えば、別の学習塾を紹介したり、別の方法を提案したりする。いぶきに合う子、いぶきを信頼してくれた子については受け入れる。

 しかし、学習塾はどこからの援助も補助もない。まして、ブランド名で集めることができる大手やFC塾ではなく、いぶき学院は個人塾である。何も手を打たないでいると、いぶき学院の存続が危うくなる。そこで、塾生を集める必要が出てくる。『経営』を考えねばならないのが現実だ。

 初めから、収益を第一として学習塾を始めた方もいると思う。だから、『経営』のための『教育』になっている学習塾がある。とにかく塾生を集めることが第一。手段を選ばないで集めることになる。個別指導塾は講習等でたくさんの回数を取ることを提案する。たとえば、中3生(9年生)で高校受験の夏。中1の基礎からわかっていないとの理由で、中1の最初から復習をしなければならないと言われたら、保護者も本人もそうしないとまずいと思い、1教科20回以上提案されたりするかもしれない。3教科や5教科取ると怖いくらいの金額になる。合格実績も集客の大きなポイントとなる。したがって、子供のために合格させるのではなく、集客のために合格実績が必要だから合格させるという、本末転倒が起きる。

 きれいごとを言っている余裕は、いぶき学院にもないのだが、いぶき学院は『教育』のための『経営』を貫きたい。本当に子供達のためにご家族のために日本のために頑張りたい。

 我々の目標は大井町に無くてはならない塾として子供たちの指導に当たり地域に貢献したい。そのために、理解してくれる子供達、いぶきに合う子供たちに来て欲しいと願っている。結局宣伝となってしまいました。(笑)

分数ができない大学生 [◆教育の役割 「教育は日本を変える」]

インターネットで「分数ができない大学生」と検索すると、たくさんヒットします。インターネットなので真意は怪しいのですが、最近の中高生を見ていると間違いなく、分数のできない大学生になると確信できる者もいますし、高校の知り合いの先生からの情報から推測すると、大学生になって分数ができないことは間違いないと思われます。

気になる事が2つあります。

①小学6年生に「大学生で分数の計算ができない人がいるんだよ」と言ってみたところ、私は、それはまずいから一生懸命勉強しようと考えてくれると思っていたところ、こんなことを言ってきた子がいました。「それじゃあ分数を勉強する意味が無いじゃん」、「分数の勉強はしなくてもいいんだ」

②あるサイトでは、『掛け算や割り算と、足し算や引き算の区別が付かなくなる』、とか『しばらくすると忘れてしまうのは当然』と書いてあった。

 問題なのは、勉強をする目的が受験での合格になっていること。
 本来勉強をするということは、自分の心を豊かにすることにあるのではないでしょうか。今まで知らなかった知識を学び、今までの別のものの見方や考え方ができるようになることで、世の中のことに興味関心を持ち、今の生活を今の世の中をより良いものにしていくための行動に移すことで、社会の所属し貢献する。人との関わりが不可欠な人間であるからこそ、自分の心の豊かさは社会に還元され、社会の豊かさは自分自身に戻ってくると考えます。

 勉強の目的が大学に合格することでは、勉強をする意味がありません。合格してさらに知識を増やし、その先にある未来のために多くの価値観を知り、色々な体験をして自分自身を高めていくのですから、本来勉強の目的はそこにあるはずです。合格することが目的ならば、丸暗記、詰め込み、テクニック、カンニング・・・と未来に繋がらない手段に向かうかもしれません。日本は未だ学歴社会は少なくとも継続していますが、学歴よりも人物重視の傾向になってきていることは間違いのないことです。そのためにも貪欲に、新しい知識と考え方を身に付ける姿勢は誰にとっても大切ではないでしょうか。

 そしてもう一つ、掛け算と足し算の区別がつかなくなることや、しばらくすると分数の計算ができなくなることについては、教育の在り方の問題があると思います。それは指導する側と指導される側の両方にあると言わざるを得ません。「計算の答が出ればそれでいい」、「正解ならばそれていい」、「点数が取れればそれでいい」という考えがどこかにあるのではないでしょうか?

 区別がつかない、しばらくすると忘れるという現象が起きるのは、“分数の意味が分かっていない”から起きることです。“加減乗除の意味が分かっていない”から起きることです。小中学生を指導していて最近特に感じることは、理解より正解重視の姿勢が多いことです。理解して、“当たり前”になれば、覚える必要はありません。覚えなければ忘れることは有りません。

 2分の1が半分であることは、小中学生でも大人でも“当たり前”ではないでしょうか?ならば、分数を知らない人はいないはずです。しかし計算ということになると、“やり方”を忘れたとなってしまいます。“意味”を考えれば誰でも簡単に理解できるものです。

 どんなに算数が苦手な子でも、小学生からいぶきにいる子で分数の計算ができない子はいません。“分数の意味を理解”し、“加減乗除の意味を理解”していれば“当たり前”なのです。

 勉強の目的について、やり方重視の学習について、今の日本の教育(学習塾、学校、親、子、社会)は病んでいると思います。私はそこを変えたいです。




人生の岐路「迷ったら苦しい道を選べ」 [◆教育の役割 「教育は日本を変える」]

 先日、新高校2年生なる女の子が2人いぶき学院に来た。通知表を持ってきて見せに来た。(遊びに来ただけですが・・・)2人とも高校は楽しいと言う。

 その話の中で高校1年生で高校をやめた子の話が出る。メールが来ていてすごくつらそうなことが書いてあったようだ。

 そこに、新高校1年生になる子がやってきた。「高校に合格したら遊べるとともだちが言っている」と言う。

 高校生活を楽しいと言ってる女の子2人の評定は“4”と“5”が多い。2人とも頑張っていることが分かる。
しかし、学校をやめてしまった子は、頑張ってもダメだったのかもしれないが、成績が悪いことが第一の原因だった。

 学校の成績を頑張って勉強をして安定させれば、高校生活は充実したものとなり楽しくなる。やるべきことをやらないで、遊んでいては高校での本当の楽しさはわからないだろう。そして、成績が悪いと中学と違って進学できないし、退学が待ち構えている。

 いぶきの個別指導に通う、小山台、三田、青山高校の生徒たちは、学校の部活動も行事も大変そうだが、勉強も危機感を持ち、目標を持ち一生懸命だ。「学校は楽しい」と言う。

 楽しむために進学をしたならば、そのためにまず勉強ありきである。楽をするより、苦しいことをしている人の方が本当の喜びを感じるもの。もちろん、一生懸命にな頑張るのは勉強でなくても良い。一生懸命にやることから人は学び成長できるのだから。ただ、成績が悪いことだけは高校生として、まずいということを肝に銘じておくことだ。

 人生の選択は、「迷ったら苦しい道を選べ」である。


自分を責めないで [◆徒然なるままに 「自分らしく生きる」]

 気配りができて、よく気が付く子がいました。誰かが困っていると声を掛け、大変そうだと助けてあげようとする。誰かに助けてもらうと、「ありがとうございます。」とお礼を言う。そして、うまくいかないと「私の努力が足りなかったからです。」、「油断してしまった自分がいけないんです。」と自分を責める。その子は家族の事でも、その子の責任ではない事でも責任を感じて落ち込んでしまう。

 「あなたは、人の気持ちを察することができる。色々な事を全部自分で受け止めてしまったんじゃないか。」、「自分を責めてはいけない。一生懸命だったんだろう。頑張った子は自分を責める必要はないんだ。」、「自分を責めたら、頑張った自分に申し訳がないじゃないか。自分の事を褒めてあげよう。」と話したことがありました。


 似たようなお母さんもいます。我が子のために必死に行動し、助け、手伝い、段取りをして、うまくいかないと「私が悪いんです。」「私に原因があるんです。」、「こうなってしまったのは私のせいです。」

 自分を高めようと、自分を鼓舞しようと、そんなことを言う人もいますが、それは前向きにとらえているケースです。

 しかし、自分を責めて本当に行き詰ってしまうこと、自分を嫌いになってしまう事も有ります。自分を嫌いになると他人も嫌いになり、自分も他人も許すことができない人間になっていきます。


 “頑張った人は責められない”のです。「最善を尽くした結果」を責める権利は誰にもありません。それは自分自身にもです。少なくとも自分が認めてあげないと、頑張ったこと、一生懸命だったこと、良かれと思ってやったことは自分が一番わかっているはずです。自分を責めてはいけません。その理由は、“あなたは悪くない”からです。

 問題があるのは人ではなく“行動”であることを忘れてはいけません。“行動”に目を向ければ失敗を教訓として改善していけるはずです。

 自分を責めないで、目的を持ち、進む道を決め、前を向き、1歩ずつ前進ですね。