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一次関数がわからない [◆教育の役割 「教育は日本を変える」]

 一次関数は中学2年生で習う関数で、得意な人もいますが、一次関数が苦手という人の方が多いのではないかと思います。しかし、高校受験にとって一次関数は必須の単元であり、合否に大きく影響する単元なのです。

 学習塾の講師を始めてわかったことですが、これほどまでに一次関数が苦手な子、嫌いな子が多いとは思ってもみませんでした。新たに入塾した子は、口をそろえて「一次関数がわからない」と言います。成績が良い子でも「一次関数がわからない」というケースも少なくありません。


 教科書や参考書などに「一次関数」についての説明が書いてあります。

 『一次関数とは「xが1次式の関数」である』

 『一次関数とはy = ax + bという式で表される関数のこと』

 『一次関数とは、xにaを掛けて、bを足すとyになるという関係性の式です』


 このような説明で学んだ子供たちのほとんどは一次関数を理解していません。そのような教え方で子供たちが一次関数をできるようになっていないのが現実です。

勿論「できるようになった子がいる」のは当然です。なぜなら、その子はどんな教え方でも理解してしまう子だからです。問題は、一次関数が理解できない子、数学が苦手な子に対して一次関数を理解させられるかどうかなのです。

さて、一次関数を指導する上で、子供たちがわからなくなる危険性のあることを少し列挙してみました。

最初の説明で、『一次関数とは「xが1次式の関数」である』と言う事。
最初の説明で、『一次関数とはy = ax + bという式で表される関数のこと』と言う事
『一次関数と言われたらy = ax + bを思い出すこと(と覚えてください)』という事
『aを傾き、bを切片という』と、いきなり教える事
『aを変化の割合とも言うのだよ』と教える事
比例を『y = axのaは、xにaかけるということだよ』と教える事

 私は自分の知っている「一次関数」の話をして、子供たちに「一次関数」を考えてもらうようにしています。

 「一次関数の問題を解く」ことを目的としていては本当にできるようにはなりません。「一次関数を分かる」ことを目的とすると一次関数が簡単になるはずです。

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勉強ができる・挨拶ができる [◆教育の役割 「教育は日本を変える」]

どんなに勉強ができても、挨拶ができない子の将来は不安である。逆に多少勉強はできなくても、挨拶ができる子は将来が楽しみだ。

 人工知能の世の中になるからこそ、本当の人間味がなおさら重要だと思う。人は人でしか結局癒されないからだ。

 「こんにちは」、「ごめんなさい」、「ありがとう」は基本であると思うのだが、正直なところ、これらが言えない子が増えてきているような気がする。そんな子が入塾してくると、それらを言えるよう接していくのだが、小学校高学年にもなると、そう簡単にはいかない。

 以前小学5年生から中3まで通っていた子も言えない子だった。勉強はそこそこできる子であったが、「ごめんなさい」や「ありがとう」は言わない。その子が5年間通っている中で、成績が上がったことより、「ありがとう」と言ったことの方が大きな感動だった。

 どんなに仕事ができる人でも、人とのコミュニケーションが取れないと仕事がうまく運ばなくなる。信頼関係が築けなければ、仕事も頼まれないし一緒に仕事をしようとは思わない。

 長い人生、山あり谷ありで本当に困っている時に一番頼りになるのは人であると私は思う。もちろんそのために他人のご機嫌を取り嫌われないように、愛嬌を振り撒き、挨拶をするのではない。自分自身が自分のために一生懸命生きる中で、仲間に挨拶をし、協力してくれる人に感謝をし、迷惑を掛けたら責任をきちんと取る事だ。

 一生懸命に頑張り苦労をすれば、人の苦労も分かるようになる。だから思いやりの心が生まれるのだと思う。必死に頑張り、色々な体験をして、多くの価値観に出会い、人と共に生きることで人は強くなり、優しさが生まれると思う。

 辛くても、苦しくても、
明日は明日、笑顔で「こんにちは」、「ありがとう」で生きていきたいものだ。

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自分を高める④ 答は出るもの、“答を創らない” [◆教育の役割 「教育は日本を変える」]

塾生にいつも言っていること

「答を考えるな、問題を考えろ」について簡単に書かせてもらいます。微妙なニュアンスが伝わらないかもしれませんがお許しください。

問題→解法(途中式)→解答


本当に出来なくなる子は答を考える。
 答はいくつになるかを考える。だから、問題に書いてある数字を組み合わせて式をつくり、答を出す。問題の意味、問題が何を言っているかは考ええない。

 プリントに「分数の割り算」と書いてあれば、無条件で問題に書いてある数字を使って割り算の式をつくって答を出す。それでできるときがあるので止められなくなる。


成績が上がらず苦しむ子は解法(途中式、やり方)を考える。
 どうやればできるのかを考える。教科書の例題や問題集の解説を見てその通りにやろうとする。または、解説を理解しようとする。解説はその問題の答を導き出すやり方が書いてあるだけのものが多いので、他の問題には使えるかどうかわからない。本当に理解できれば役立つが、なんとなくわかった程度だと応用は利かないことが多い。

 公式を丸暗記して利用することもする。公式は道具である。道具は便利ではあるが、理解していない道具は使い方を誤ることがある。やり方を覚えて解こうとする子は、問題の数だけやり方を暗記することになる。それには限界があり、努力の割に(学習時間が長いのに)結果が出ないことになる。しかも、短期記憶なので定期試験には多少結果が出るが、学力テスト(実力テストや模擬テスト)では悲惨な結果となる事がある。


学力が伸びる子は問題を考える。
 問題に書いてある事を時には表や図などを書いてわかりやすくまとめていく。問題に必要な事は書き込み、何が書いてあるか、問題文や式の意味だけを考える。

 問題を理解した時に、答を考える子や、解法を考える子が得られない言葉が出てくる。それは「わかった!」である。少なくとも答を考える子は「できた」はあるが、「わかった」はない。

 問題が理解できると、解法が見えてくる。もし解法が見えてこない場合は、その原因を探りそこをクリアすればいい。答や解法にこだわる子はそれが無いので改善されない。できない原因がわからないから、本当の自分の弱点が見えてこないからだ。


 問題を解けるようになるために、自分を変えて真の学力をつけるためには、問題を考えることである。

自分を高める③ 成長を止める“できればいい” [◆教育の役割 「教育は日本を変える」]

私が自動車教習所に通っていた時のこと・・・自分の運転が下手で自動車に乗ってハンドルを握っても自動車をコントロールしている感はなく、なんとなく仮免となり路上の教習も怖くて仕方ありませんでした。「このまま免許を取っても運転できない。」と思い、できる範囲で教習を重ねたいと思っていました。

ところが、ついに次は卒業検定という日がやってきました。教官にあと少し練習をしてから…と言おうとした時に教官が大きな溜息をつき私にこう言いました。「(お前は)どうせダメだろうけど、(卒業検定を)受けてみるか!?」

  「どうせダメだろうけど」にカチンときた私は「受けます。」と即答していました。そして卒業検定後に合否を言い渡されました。また大きな溜息をついて「しょうがないな、数字の上では合格だ!」

 うまく運転はできないけれど、減点法の検定では合格できるだろうと思っていました。教官の言葉があまりにも私にとって酷かったので、「それじゃぁ合格してやるよ。」と思って臨んだ検定は、とにかく、きょろきょろと確認をしまくり、ゆっくりと丁寧にコースを周り、原点されない事だけを考えて運転しました。

 合格したくなかったのに、教官の一言で合格を選んでしまいました。その結果、実際に免許取得後半年間の私の運転は、事故や違反で減点されるようなことは有りませんが、乗るたびにヒヤリハットを多発し、30分も運転すると他のドライバーから必ずクラクションを鳴らされていました。うまく運転できないのに、免許を取ってしまったために何度か大事故を起こしそうになりました。合格すればいい、結果が良ければいいという“できればいい”はその時はいいのですが後になって大変なことになります。


 中学生の数学。宿題チェック。全員を見てまわりますが、どこを見るかというと、それは途中式。答があっているかどうかに重きを置きません。途中式や書き方で、本当に理解できているかどうかをその場で判断していきます。理解していることがわかれば答が違っていても、先々大きな問題にはなりません。理解していない場合は答があっていても、学力の伸びはいずれ止まってしまいます。

 特に計算の理解は大切です。「計算はやり方があってそのやり方通りにすればできる。」と勘違いしている人がいます。計算にやり方などありません。やり方がないから、どんな問題でも複雑な計算でも難しい問題でも解けるのです。式の意味を理解して計算をしている子の途中式は美しい式で、1つ1つの式に意志が感じられます。それは、数字や文字、そして符号の位置からも感じられ、その子の先々も見えてきます。

 “できればいい”と考える子は、答が出ればいいわけですから、途中式が飛んだりなかったりすることがあります。答を創ろうとする子は意味を考えたり理解することをしない傾向が強いと思います。別に意味が分からなくても答が出ればいいと考えているからです。

 そのような人は、問題の数だけやり方が生まれ、やり方を覚えきれずにできなくなったり、問題が少し変わっただけでできなくなるのです。“できればいい”は学力の伸びを止めるとともに、早く正確に答を出すための障害となって行くのです。

 “できればいい”は結果を気にすることから生まれる考え方(価値観)であると考えます。それは周りの人や環境の影響を大きく受けます。結果を重視する学校、先生、家庭、友人などが考えられます。結果次第でその子が褒美をもらえたり、叱られたり、嫌な思いをしたりするケースや、結果でその子自身を判断されてしまう経験があると“できればいい”になりがちです。又、苦手な教科は考えてもわからなくなり、答を創り始めてしまい“できればいい”となる事も有ります。

 どこかで“できればいい”をやめないと取り返しのつかない事になると私は思います。結果を気にしない(結果を恐れない)気持ちを持つためには、結果よりも過程を認める周りの人たちの協力も必要です。努力や頑張りを認めることが大切です。

 そして、意味から考える癖、物事を理解する癖、「何のために」という目的意識、「なに」と意味を考えること、「なぜ」と理由を考えることが大切であることを本人に気づかせ、実行できるように指導していくことが必要であると思います。