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新年 あけましておめでとうございます [◆徒然なるままに 「自分らしく生きる」]

2018年
新年 あけましておめでとうございます
皆さまにとって 本年が良い年になりますよう お祈り申し上げます

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日馬富士の引退に思う [◆徒然なるままに 「自分らしく生きる」]

日馬富士が引退。
大相撲ファンの1人として、賛否両論あると思いますが私の思いを述べさせていただきます。
事の真相が明らかになる前であり、鳥取県警の捜査、相撲協会危機管理委員会の調査結果も出ていない。番付編成会議が29日にあるとはいえ、日馬富士自らの決断に早すぎるという思いと、残念であるという思いと、釈然試しない思いが入り混じっている。
暴力は行けないことは間違いない。そして、横綱としての品格の問題も当然ある。しかし、日馬富士の引退、特にこのタイミングでの引退を喜ぶ人がどれだけいるだろうか。「仕方がない」、「当然だ」と言う声はあるだろうが。「やったー、嬉しい!」という人は果たして何人いるだろうか。被害者である貴ノ岩の気持ちを察すると複雑な思いであろう。来場所土俵に上がる時、どんな思いで上がるのだろうか。関係者の皆さんも辛いことではないだろうか。
日馬富士は先場所、1人横綱として大逆転優勝を成し遂げた。あの場所は次々と横綱が休場となり、日馬富士自身も万全でない中で休場ができない状況に追い込まれ、15日間相撲を取り続けた。本当に辛かっただろうと思う。
その日馬富士が今回の騒動で、まだ調査中でありながら引退に追い込まれたということは、よっぽどのことではないかと思う。
私は、日馬富士を擁護する気はないが、本来、相撲協会にしても横綱審議委員会にしても力士を守るべき組織ではないかと思う。団体のトップはそれを組織する人たちを守るのが役割の1つであり、処罰することが目的ではないと思う。真実を究明し今後同様のことが起きないようにすること、悪質であるならばそれなりの処罰をすることは当然のこととして、それが、真相も解明されない段階で日馬富士を守り切れなかったことは、誰にとっても良いこととは思えない。真相が明らかになった上での引退勧告となるならば仕方がないし、納得もできる。それは今後につながるからだ。
又、日馬富士の引退は、巡業中に起きたことであるので、巡業部長の責任は当然。相撲協会、横綱審議委員会の責任もある。そこを蔑ろにしたまま、日馬富士が引退となり、彼1人に責任を負わせてしまう結果になったとしたら、力士たちは安心して相撲を取ることができないのではないか。相撲協会は厳しいことを語り、脅し、罰を与えるための協会ではないはずだ。力士たちの良い理解者であり、守り育てるのが相撲協会ではないだろうかと思う。

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病から得たもの [◆徒然なるままに 「自分らしく生きる」]

 9年ほど前、初めて入院した。それまでは体力には自信があり、取り柄が体しかないと思っていた自分が入院をした。1週間の入院であったが、退院をして1年ほどは普通に生活できなかった。

 その入院前の苦しさは半端なく、思い出したくもないことのひとつである。土日を挟んでいたので月曜日に病院に行こうと思い我慢をしていたのだが、日曜日の夜は痛みで一睡もできず、1秒をあんなに長く感じたことはなかった。朝病院が空くのを自宅のベッドで横になり持った。長い長い夜だった。病院の受付で倒れ即入院となった。

 その時と退院後の不自由だった経験は私にとって大きなものとなった。気圧の変化が及ぼす体調の変化も体験した。病というものの怖さと、病にかかっている人の辛さを多少なりともわかるようになったからだ。

 生ということへの意識も高くなった。時間を有限であり、無駄な時間を過ごさないように生きていこうと考えられるようにもなった。

 2度と経験したくない事ではあるが、あれがあったからこそ自分は変われたし、人の気持ちも少しわかるようになったかなと思う。

 以前もブログで書かせていただいたが、自分が経験したことについては、他人と共感できる。人の人生は喜びも楽しみもあるが、悲しみや苦しみもある。少しでも多くのひとの気持ちを分かってあげられるよう、思いやりと優しい気持ちが持てるように、人は頑張り、一生懸命生きるのではないか。

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自分を責めないで [◆徒然なるままに 「自分らしく生きる」]

 気配りができて、よく気が付く子がいました。誰かが困っていると声を掛け、大変そうだと助けてあげようとする。誰かに助けてもらうと、「ありがとうございます。」とお礼を言う。そして、うまくいかないと「私の努力が足りなかったからです。」、「油断してしまった自分がいけないんです。」と自分を責める。その子は家族の事でも、その子の責任ではない事でも責任を感じて落ち込んでしまう。

 「あなたは、人の気持ちを察することができる。色々な事を全部自分で受け止めてしまったんじゃないか。」、「自分を責めてはいけない。一生懸命だったんだろう。頑張った子は自分を責める必要はないんだ。」、「自分を責めたら、頑張った自分に申し訳がないじゃないか。自分の事を褒めてあげよう。」と話したことがありました。


 似たようなお母さんもいます。我が子のために必死に行動し、助け、手伝い、段取りをして、うまくいかないと「私が悪いんです。」「私に原因があるんです。」、「こうなってしまったのは私のせいです。」

 自分を高めようと、自分を鼓舞しようと、そんなことを言う人もいますが、それは前向きにとらえているケースです。

 しかし、自分を責めて本当に行き詰ってしまうこと、自分を嫌いになってしまう事も有ります。自分を嫌いになると他人も嫌いになり、自分も他人も許すことができない人間になっていきます。


 “頑張った人は責められない”のです。「最善を尽くした結果」を責める権利は誰にもありません。それは自分自身にもです。少なくとも自分が認めてあげないと、頑張ったこと、一生懸命だったこと、良かれと思ってやったことは自分が一番わかっているはずです。自分を責めてはいけません。その理由は、“あなたは悪くない”からです。

 問題があるのは人ではなく“行動”であることを忘れてはいけません。“行動”に目を向ければ失敗を教訓として改善していけるはずです。

 自分を責めないで、目的を持ち、進む道を決め、前を向き、1歩ずつ前進ですね。

嘘は泥棒の始まり [◆徒然なるままに 「自分らしく生きる」]

 「嘘つきは泥棒の始まり」と言いますが、平気で嘘をつける人は当然ながら良くないですね。嘘をつくことは相手を傷つけることにもなりますし、何より自分に対して申し訳が立ちません。

 生きていく上で嘘をつく人は、人から本当の感謝を受けることはありません。偽りの感謝しか受けることが出来ません。ですから、相手に嘘をついているのですが、自分も嘘をつかれていることになります。だから嘘つくことは誰のためにもならず、最悪の結果にもつながりますから、“絶対に無し”です。

 ただし、ここで言う嘘の意味は自分のために、私利私欲のためにつくものです。時と場合によって「嘘も方便」となることもあります。

 それでは、嘘をつかないためにはどうすればいいかというと、嘘をつく必要が無ければいいのです。嘘をつく必要が無い人は悪人でない人です。悪人でなければ嘘をつく必要はありません。

 私は悪人でない人は嘘をつく必要がないし、隠し事をする必要はないと思うのです。「あなたは悪人ではありません。だから嘘をつく必要はありません。」人間、正直に生きたいものです。

 でも注意したいことは、親や指導者の言葉です。子が善人で嘘をつきたくなくても、分かってもらえず人格を否定されるような時、親が褒めたりご褒美を与えるしつけをしている時、結果で全てを判断する方針であったりすると、どうしても嘘が必要になってしまう事があります。(※褒めることは良い事とは限りません!)

自分を変える [◆徒然なるままに 「自分らしく生きる」]

自分を変えるには

自分を変えるには“全否定”することです。“全否定”と言っても自分自身を否定することではありません。自分を受け入れない事でもありません。ネガティブな考えになる事でもありません。

むしろ、“全否定”というのは、自分自身を認めて、自分を受け入れ、ポジティブな発想をしていくことです。

長い時間勉強しても、たくさんの量を勉強しても、成績も上がらないし学力もつかないという人がいると思います。勉強だけではなく仕事でも、長い時間働いても、たくさんの仕事量をこなしても、うまくいかないのは同じです。どんなことでも同じことが言えます。


では、どうしたら変えることができるのでしょう。


たとえば、学校の成績を上げようと、学校の授業でやったところで、わからなかったところを家庭で学習する。ところが成績は伸びない。自分で解決できなくなり親が教え始めるが伸びない。そこで、やり方を変えようと学習塾に通い、自分ではどうしても解決できなかったところを、教えてもらうことにします。さて、それで成績は伸びるでしょうか?

私は伸びないと思います。ただし、勉強に関しては多くの要素が関わります。「わからない」の質と量と教科と単元と考え方、ノートの書き方、話の聞き方、そしていつからわからなくなったか等が1人ひとり異なるので、絶対とは言えませんが、伸びないと思います。


変えるためには、今までやってきたことを止めて、新しいことをやる事です。一見、親が教え始めたり、家庭教師を付けたり、学習塾に通わせたりすると、新しいことを始めたように見えますが、「わからなかったところをやる」ということには変わりがありません。伸びる可能性があるならば、自分より親、親より学習塾の先生の方が問題を解くことができるという理由だけです。でも、最初に20点ほど点数が上がってその後は平行線か下降線でしょう。なぜなら、学習法が変わっていないからです。

このケースでは、今までやってきた“うまくいかなかった方法”を強化しているだけです。だから変わることはありません。


他の例では、暗記型の学習法をしている人は明らかです。中1では暗記で十分点数が取れた。下手をすると試験前に少し覚えれば見た目は悪くない点数が取れた。ところが中2、そして中3となってくると、難しく勉強(暗記)しなければいけない量も増えてくる。でもやり方を変えないで、それを続ける。しかし暗記なので、全部暗記できなかったり、暗記なので忘れてしまったり、暗記なので実は同じ問題でも言い回しが少し違うだけで別の問題に見えてしまうことがあります。それらは“うまくいかなかった方法”、ここでは暗記を強化しているだけなのです。暗記型試験のセンター試験が廃止になり、新しい試験が導入されます。それは、暗記ではなく思考力を問われる試験なのです。このまま、暗記型の勉強で学校の試験、高校への進学と進級はごまかせても、大学受験はどうにもならないことが目に見えています。


先生の授業でも同じです。「生徒がうるさくて大変でした。」という話があります。その対処方法として先生に聞くと「大きな声で話してみました。」と言います。そしてそれを試した結果静かになりません。ではどうしますか?と尋ねると「もっと大きな声で話します。」と言い試します。勿論その結果は、初めよりむしろうるさくなったそうです。同様に生徒がうるさいことに対して「注意をする。」うまくいかないから「もっと注意をする。」・・・うまくいくわけがありません。“うまくいかなかった方法”を強化しているだけですから。


自分を変えるためには、後少し頑張ろうでは変えることはできません。今の自分を「100」とした時、いくつになれば変わったと言えるのでしょうか?「101」ですか、「110」てすか?頑張れば「120」位まで行けるかもしれません。しかし、「200」にしようとすると、頑張っても無理です。

なぜなら、「100」から「120」にする場合、「100」は同じであり「20」増やすことになり、今の自分を肯定した上に成り立っている数字ですが、「200」にしようとすると、半分はだけしか今の自分がないからです。今の自分を否定していかないと難しい数字になってきます。

本当に自分を変えるなら「100」を「10000」にすると考えると良いでしょう。つまり、100倍にするということです。そうすると、今の自分は100分の1しかありません。99が新しい自分です。それが“全否定”なのです。


自分を客観的に見て、大きな夢を描き、常に目的を持ち、今の自分を“全否定”して前に進むことで人は変わっていけるはずです。

言い訳は成長の敵 [◆徒然なるままに 「自分らしく生きる」]

 以前、塾生でお父さんに「だって・・・」と言った瞬間にぶたれるという子がいました。みんなに「だって・・・バシッン」と言われていました。お父さんは言い訳を許さない方だったのです。言い訳をさせないためにぶっていたわけですが、ぶつこと以外に方法は無いのでしょうか。

 言い訳をする子に共通していることがあります。それは、親が子供を許さないと言う事です。「どうしてこんな事をしたの!」と言って叱るのですが、全然話を聞いてあげない。そして、口うるさく何度も注意して愚痴を言う。子供は何とか叱られないために、言い訳をするしかありません。

 ですから、言い訳をしない子に育てるためには、子供を許すことです。そのためにはまず、子供と子供の行動を分けて考えることです。子供への言葉がYOUメッセージとなり、子供自身を責めるようにならないことです。問題なのは子供ではなく子供の行動や言動なのです。

 もう一つは親自身が自分の事を許すことです。親が叱る原因として「私が納得できない」があります。親が自分自身と子供を重ねあわせて自分の事のように思ったり、自分の価値観を子供に押し付けてしまう事もあります。親子でも別の人間であるということを忘れてはいけません。

 だから、自分自身を許すのです。自分を許せなければ子供を許すことはできません。自分を許せれば子供を許し子供を理解しようとする。つまり話を聞いてあげることに繋がります。本当に子どもを信頼しているのなら「何やってんの!」ではなく「どうしたの?」になります。その時に聞くことは言い訳ではなく理由です。

 もし、言い訳になっていても、「そうなんだ」、「たいへんだったね」と聞いてあげるしかありません。言いたい事がある場合は、アイメッセージを使うことでコミュニケーションを取ることができます。

自分に合う学校はない!? [◆徒然なるままに 「自分らしく生きる」]

 以前こんなことを書いたことがある・・・
 「A高校に行きたいんだけれど、あの高校は挨拶ができていないと思った。だから悩んでいるんだ。」というB子さんに「だったら入ってからB子が、『挨拶をする学校』に変えればいいんだよ。」と話したら、B子さんはA高校を受験して“合格”。
そして、生徒会長になって『挨拶をする学校』にした。


 私の同級生が高校を転校して行った、剣道をやっていたM子は転校先の高校に剣道部が無かったので、高校2年生の時に自ら剣道部を設立。そして1年間で県で上位のレベルに引き上げた。ちなみに彼女は高卒後東京に出てきて大活躍をしている。

 自分が好きで入った学校でも何かがおかしい、何かが違う。そう、自分に完璧に合う学校は存在しないのだ。すごく気に入った学校でも、多少嫌なところは出てくる。それを、学校や先生のせいにしたり、「学校が合わない」、「第一志望でなかった」と言い訳をしても何もいいことはない。逃げずに前を向くしかないのだ。

 どんな学校に入っても楽しいことばかりあるわけではない。だから嫌なことを受け入れ我慢することも必要になる。さらに自分のために、学校のために、友達のために学校を変えることは有りだと思う。そして、それは可能な事である。そんなことができたなら、その学校があなたにとってベストの学校となる。

 「進学した学校があなたにとって一番いい学校である」ということを肝に銘じて欲しい。

 今の社会にしても、会社に生活の面倒を見てもらう時代ではない。会社の面倒を見る時代だ。「自分が変えていく!」という気概を持って生きていけば、どんな学校でも職場でもやりがいを持ってやっていけると思う。

 みんながそんな気持ちを持っていけば、世の中もより良く変えていけるのではないだろうか。

1歩前に出ると未来が見えてくる [◆徒然なるままに 「自分らしく生きる」]

私立中受験が終えて、大学受験と高校受験の際中。入試が終わっていない人もいる。もちろん合否が出ていない人もいるだろう。

結果は誰もわからない。たとえ結果がどうであれ、君の努力は君自身が知っているはずだ。「誰が何と言おうと君は頑張った!」

努力は決して裏切らない。
それは結果に対してではなく、これからの人生に対してだ。

今までに、入試前にお母さんからこんな電話を2回だけだがいただいたことがある。泣き虫な私は2回とも、受話器の向こうのお母さんと一緒に泣いた。

「鈴木先生。あれだけ頑張った我が子を見たことがありません。不合格でも構いません。私はあの子を誇りに思います。」

志望校合格に向けで必死に頑張ったなら、どんな結果になっても悔いは残らない。次に向けで、自分の足で誰の力を借りずとも進んで行ける。

迷わず、逃げず、恐れずに勇気を持って1歩前に出てみよう。
必ず未来が見えてくる。

新年を迎えられ ありがとうございます [◆徒然なるままに 「自分らしく生きる」]

元旦 今年も恒例の湯島天神初詣。30年間で29回目の初詣。1回だけ行かなかったのは平成9年である。その年はいぶき学院設立の年で正月に塾生がいなかったからだ。一緒に行く塾生は少ない時で2名、多い時は20名を超えた。
湯島天神も本堂まで行く道程がこの30年間で変わり、御徒町から歩いて行き、地下鉄の湯島駅を大きく左から回り込むようになった。以前はすぐそばの石段を登ったものだが、境内は大変な混みようでお守り1つ買うのにも大変な思いをした。今は境内に入る前には並ぶが、入ってからは人が少なくなるように規制されているため快適である。
さて、湯島天神に着くと最初に本堂にお参りをすることになる。「初詣だから何をお祈りするか良く考えておけばよかった」なんて考えているうちに、賽銭箱の目の前に立つ。アドリブでお祈りするのだが、明らかにこの10数年のお祈りの内容の変化がある。それは必ず「健康でありますように」とお祈りするようになったことだ。

年賀状を今年もいただいた。その中に「お元気ですか」という文字が目立つ気がする。「お元気ですか」の意味として、しばらく会っていないということは当然あると考えられるが、友達たちも年を取り健康については気配りが必要になっているのだろうと思う。そして、私自身も「健康」という言葉に敏感になっていることも当然ある。

30年前、健康が当たり前と思っていた自分がいた。1年経つのが当然だと思っていたし、1年間生きることが当たり前だと思っていた。
でも今は、1年間生きて、湯島天神に子供達と一緒に行けること年賀状をいただけることは凄いことだと思う。昨年もたくさんの方々に生かさせていただいた。自分は幸せ者だとつくづく思う。新年を迎え皆さんに感謝をしたい。

生きていけることはありがたいことで、これからは「今1年良い年でありますように。よろしくお願いします。」お祈りする前に、まず「1年過ごすことができました。ありがとうございます。」とお礼をしなければいけないなぁと思う。
今年の抱負は「湯島天神に来年お礼を言いに行けるようにする」ことだ。

素直 [◆徒然なるままに 「自分らしく生きる」]

こんな話を聞いたことがある。
「勉強ができる子は使いにくい」

勉強ができる人間は、「素直にやりなさいと言われたことをやればいいものを、その通りにやらない」ということである。

でも、「言われたことをやる」ことは本当に“素直”と言えるのだろうか。

自分が疑問に思っていること、理由がわからないこと、目的が見えないことを「はい、わかりました」とやることは、少なくとも私は“素直”とは思えない。

相手の指示(命令)に対して従うことは、自分の本心に対して素直とは限らないからだ。
「なぜなんですか」、「どうしてですか」、「それにはどんな目的があるのですか」と言ってくる子に好感を持つ。それらは、素直だから出てくる言動だからだ。素直でない子は初めから聞く耳を持たない。わがままな子は自分の我を通そうとする。本当に反抗的な子からはそのような言葉は出てこない。

だから、素直な子のそれらの問いかけに真摯に対応することが重要である。そして、それを受け入れてくれた時、自分の腑に落ちたことになり“素直”に行動できるのだ。

“素直”とは相手に対してのものではなく、自分の心に対してのものだと思う。そして人は成長していける。


あまったれるな受験生! その2 [◆徒然なるままに 「自分らしく生きる」]

受検は社会の縮図

やりたいことを決めて、なぜそれをやるのか(目的)を明確にし、それを達成するために何をすべきか何が必要かを考えて(調査して)、それを実現するための目標を設定し、いつまでに何をやりどけるか計画を立て、実際に行動に移す。

企業において、注文を受けた時、「できるだけ頑張ります」とは言わない。
「できるだけ頑張る」には目標がない。

目標を決めて、それを「何が何でもやり遂げる」ことが企業だ。
もちろん、その結果うまくいかない事もある。失敗することもたくさんある。
だから、学べるし成長できる。何度かうまくいかないからといって、そのたびに落ち込んだりくじけていても、そこからは何も始まらないし生まれない。

「できるだけ頑張る」は失敗が当たり前の事として済まされてしまい、学びや成長がない。

常に目的意識を持って、目標達成のために計画を進めていくことができれば、必ず良いことがある。それは時には成功だったり、学びだったり、成長だったりする。

これからの数ヶ月が人生を変える。それは結果が変えるのではなく、過程が変える。過程とは、結果が出た後に前に1歩踏み出せるような取り組みのこと。自分を信じ、自分に負けずに、決してあきらめずにやり抜く気概を持つこと。

“行ける学校ではなく、行きたい学校へ行こう!”

あまったれるな受験生! [◆徒然なるままに 「自分らしく生きる」]

学力を高めようとせず自分が行ける高校を探す。
つまり、自分を変えずに、相手を変える。

「だって仕方がない」、「行ける学校が無いんだもの」

努力をしないで、やるべきことを疎かにして、自分を高めようとしないで、今のままの自分で行ける高校を探す。

「あまったれるな!」

そんな受験生、どこの学校も欲しがらない。
そんな人間、どこの企業も欲しがらない。

それは最低の受験。自分を高めようとせず、自分を変えずに、変わらない自分でも入れる学校を探すこと。

そんなことをして入学できても、一生同じことの繰り返し。人生これからは90年の時代。先は長い、だったら1年くらいどうということはない。自分を高めることができるようになってから高校を受験すればいい。

遅刻!欠席!「時間を間違えた」、「今日授業(面談)がある事を忘れていた」。
そんなの社会で通用しない!
宿題は不十分。授業中に寝る。学校でも寝ている。

困ることはやるが、困らないことはやらない。
終わらないと帰れないというルールならやるが、終わらなくても帰れるというルールだとやらない。


一生懸命やって、やるだけやった上で、行ける高校を探すのならまだまし。

本当は、行きたい学校を決めて(入った後のことも考えて)、そのために何ができるかを考えて、それを実行する。自分を行きたい学校のレベルに持っていくことがベスト。

変えられるのは自分だけ。そして未来が変わる。
未来を変えるなら、自分が変わる努力をすべし。

“行ける学校ではなく、行きたい学校へいこう!”

そのために、できることは『自分を変えること』、そして『あきらめないこと』


職人気質 [◆徒然なるままに 「自分らしく生きる」]

今あなたがやっていることは何のためですか?

人に褒められたいからですか。
親に叱られないためですか。
お金を儲けたいからですか。
世間に自分を認めさせたいからですか。
自己満足のためですか。
人に好かれたいからですか。
人に嫌われないためですか。
義務だからですか。
決まりだからですか。
約束をしたからですか。
後世に名を残すためですか。


ある人が言いました
「私は、自分が自分であるために行動しています。」
「生意気な新入社員だった私がある日、ある部署の長になりました。すると、他の人に気を使うようになりました。ただ、その気の使い方は、『他の人は自分をどう思うだろう』というものでした。気がついてみれば組織はガタガタ、自分が考えていた様にはちっともなっていませんでした。そこで気が付いたことは、他人にどう思われるかを気にしてはいけないということです。それからは『自分らしくやる』ことに徹し、うまく組織がまとまっていきました。」と。


人それぞれ個性があり、良さかあると思います。彼はその個性を買われて長になったにも関わらず、その個性を打ち消してしまったために最初はうまくいかなかったのです。

自分を活かすためには、自分に自信をもって、自分の個性を前面に出して、自分の得意なところで勝負することだと思います。自分らしく生きて、うまくいかなくても、悔いは残らないものだと思います。

自分らしく生きて、夢を追い続けていく先にあるのが“なりたい自分”ではないでしょうか。

人は人でないと癒されない [◆徒然なるままに 「自分らしく生きる」]

実家のある栃木県に帰った。
親戚のおじが私に話す。
今、おじは1人暮らし。昨夏、一緒に住んでいた母が施設に入所してしまったのだ。
「居ても、しゃべることができないから、何か話をするというわけでもないけど、いつも座っているところに居ないと寂しい。」
「どうしても、今まで座っていたところを見てしまう。」
「最近は慣れてきたけれど、初めの3か月くらいは変な気分だったよ。」
私がその晩は泊まる予定で、一緒に酒を飲んでいた。
「やっぱり人がいるのはいいなぁ」と言う。

4月の私塾ネットの研修会でも
「人は人でなければ癒されない」と言う話を聞いた。
全くその通りだと思う。
人工知能がどれだけ発達したとしても、やっぱり人でないと癒されない。

癒しは、相互通行だと思う。
相手からどれだけ癒しの言葉を聞いたとしても、相手に対してこちらから癒しの言葉をかけなければ、本当の癒しはないのではないか。

「ありがとう」、「こちらこそありがとう」
「元気出せよ」、「ああ、頑張るよ」
「大変だなぁ」、「いゃ、あなたも大変でしょう」
「共に戦おう」
「お互い様」
「一緒に頑張ろう」
「みんな元気出していこう」

外に出て、人と会おう!
語らなくとも、一緒に何かをしよう!
言葉が出なくても、少しだけ笑ってみよう!

何もできないとしても、ちょびっと勇気を出して
人に声をかけてみよう!
「おはようございます」
「こんにちは」
「ありがとうございます」
「何をやっているのですか」
「楽しそうですね」
「すごいですね」
「どちらまで行かれるのですか」
「おめでとうございます」

知らない人との何気ない、一言かもしれないけれど
心が温かくなると思う。

やっぱり、人は人に癒されるのです。

就活に思う [◆徒然なるままに 「自分らしく生きる」]

なぜ就職活動をするのだろう?
もちろん就職するためであると思うが、
では、なぜ就職をするのだろうか?

いぶき学院の卒塾生達も多く就活をしている。
相談にくる者もいる。
時には、エントリーシートを指導したり、面接の練習をしたりする。

就活をしている人は、お分かりと思うが
高校合格、大学合格、資格取得がゴールではない。

その後に就職があるからである。

ということは、就職もゴールではないと考えられる。
ゴールはもっと先にある。
志望校合格、資格取得は通過点であり、就職やその先にある目指すものを達成するための手段?にすぎない。
就職もその先にあるものを達成するための手段ではないかと思う。

「合格すればそれでいいんだ」と考えていると、良い学生生活が送れなかったり、途中で挫折を味わったり、その後の人生にも影響が出てくる。
同様に「就職できさえすればいいんだ」と考えていると、社会人として充実した生活を送れなかったり、以後人生がつまらないものになってしまうかもしれない。
20代で就職すると、就職してからの人生の方がはるかに長いのだ。

いくら景気が悪いとか、デフレと言っても、私の子供の頃と比べて日本は豊かだし、「生活のために働かなければならない」と職種を問わず条件が悪くても就職していた時代とは違う。もちろん、まだまだ国民全員の生活が安定しているというわけではないが、少なくとも就職の目的は変わってきていると思う。

「生活のため。」、「お金が必要だから。」という理由は、それなりに理解はできる。その上で、「自分はこの仕事しかできないんです。」というのなら、その会社に就職する理由にもなるだろう。

しかし、「生活のため。」という理由が薄れているとしたならば、
「自分小さいころ病弱でお医者さんに命を救われた。だから自分が医者になって多くの命を救いたい。」とか、「自分は昔の経験から、あこがれの職業である。」とか、「好きだから。」、「得意だから。」となるかもしれない。

したがって大切なことは、本当にその会社に入って、自己実現できるかどうかを問うてみることではないか。

同様の職種であっても会社の目指していることが異なり、考え方、方針、やり方も異なる。
「自分が好きなこと。」であっても、自己実現できるかどうかわからない。

「私は、昔からこの仕事に憧れていました。たくさんある会社の中で、私の夢を実現できるのはこの会社しかないんです。私がやりたいことが貴社にはあります。入社して自己実現のために一生懸命働かせていただきます。」ならばわかる。

就活をしている皆さんが、
実現させたい自分があるかどうかが重要で、
それを実現できる会社を探し、
それをその会社にぶつけられるかどうかがポイントではないかと思う。
すると、入社してから「自分が会社の面倒をみる。」と言う気概を持って働けると思う。
会社が面倒を見てくれる時代は終わっているのだ。

「入社できればどこでもいい。」という時代ではない。
是非、実現させたい自分を見つけて、就職して欲しい。

★就活をしている卒塾生へ
今からでも遅くはない。対象の会社を知り、「本当にここでやれる。」、「自己実現できるのはここしかない。」と思ったならば、アピールすることだ。「正社員になれれば、どこでもいい。」という考えでは、互いに不幸である。

ちなみに、いぶき学院は「100年後の社会を変えるために、今を変えていく!我々が、直接的に塾生を、そして保護者を、地域を変えていこう!」と、4月13日授業終了後のスタッフミーティングで話をした。スタッフ達はそれを受け入れ共にそれに向けてやっていこうとしている。それによって各々が成長し、各々がなりたい自分になっていく(自己実現)のである。彼らの成長のためにも、今、目の前にいる塾生に対して最善を尽くしたい。


3月個人面談を終えて [◆徒然なるままに 「自分らしく生きる」]

2月、3月は
保護者会・生徒ガイダンス・個人面談を実施。中には2度3度とお会いする保護者様もいらっしゃいました。
3月20日の個人面談で、ほぼ予定していた個人面談も終わり、後は病気などで予定を変更せざるを得ない塾生の面談が残っているだけである。

今までの、保護者会や個人面談でも新たな発見が有ったり、こちらが学ぶことも多かった。そしてありがたい言葉も沢山いただいた。

そして、3月20日は3組の面談があった。
3組ともいぶき学院を信頼してくれていることが、ひしひしと伝わってきて、「頑張るぞ!」と、エネルギーをいただきました。いぶきでは見せない家庭での姿を知ったり、お母さんの思いや活躍ぶりを知って共感を覚えたり、親子といぶきが協力してさらに高いレベルを目指すことを確認したり、お兄さんの話になったり・・・。
少なくとも、親の背中を見て子供は育つ事を感じた日でした。

彼が掃除や洗濯、そしてお母さんのために料理を作ってあげる。それはお母さんが良い人だから。苦労していることを知っているからだと思う。私もお母さんを信頼している。

学校で数学の前回のテストが95点。でも、それで満足しないで学力を上げて、他の学校の生徒に負けないように、学校の数学のレベルを引っ張るように伝えた彼女。小学生から知っているので、顔つきや、ちょっとした言葉づかいで、何を考えているか、だいたい察しがつく。彼女なら頑張れると信じている。お母さんの信頼も感じるし、私はご家族4人とも知っているが、全員信頼できる。そんな一家だ。

いぶきの個人面談には喜んで一緒に来たという彼女。とっても嬉しい。もう中学3年生になるが、小学生から彼女の話を聞き続けている。学校の個人面談では先生に対して敬語を使っていたと言うが、私に対しては親がそばにいても気楽に話してくる。敬語など使われたことが無い。言葉遣いは「ため語」に近いが、2人の関係は礼儀とけじめの上に成り立っている。いつでも色々な話をしてくれる。そして私の言うことも素直に聞いてくれる。
お母さんの仕事の話を聞いて、ある意味感銘を受けた。又、共感することが多く、それを見ている彼女が頑張れる子に育っているのは当然だ。素晴らしいおお母さん、いや素晴らしい人だと思った。

子供は親の後ろ姿を見て育つ。
親が嘘をつく人ならば、子供もうそをつく。
親が言い訳が多ければ。子供も言い訳が多くなり、成長できない子になる。
親が「この子は○○だから」と限界をつくてしまえば、子供もそう思い込む。
親が結果で判断すると、子供は結果を求めようとして、その場しのぎの学習となり、結果として学力はつかない。さらに、やる気をなくしたり、反抗的になっていく。親子のコミュニケーションが無くなる。
親が何事にもはっきりと自分の意見を言えないようならば、子供も自分の考えを持たなくなる。
親が大切な場面で逃げてしまうと、子は逃げるようになる。不登校にもなるかもしれない。
親が忙しいことは子供はわかっている。子供は何でもわかっている。子供はすべてを見ている。
だから、親は自分の後ろ姿を、頑張っている後ろ姿を見せればいい。
親が手抜きをせず頑張れば、子も頑張る。
そして、時には子供のために忙しい中時間を割いて、学校行事や面談に参加する。
ただし、親が自分自身を犠牲にしてまで動くと、全てが崩壊する。誰のためにもならないからだ。仕事に支障が生まれる上、子供の自律する上での障害になるからだ。

親は、1番辛いのは子供であることを“わかってあげる”
子は、1番自分のことを愛してくれいいるのが親であることを“わかってあげる”
これができれば素晴らしい。

私は、親子にそれを言い続けたい。


同窓会は何のため [◆徒然なるままに 「自分らしく生きる」]

いぶき学院の卒塾生が集まりたいというので、11月29日に集まれる20,21歳のメンバーでささやかに同窓会という名で飲み会がありました。

ところで、クラス会や同窓会について、前々から考えていたことがあります。それは「何のためにやるの」かということです。

私的には、友達が何をしているのか、どうしているのか、元気かどうかを知りたい。それが、自分の励みになればと思うところがあります。

私は、小学生、中学生、高校生のクラス会や同窓会、大学時代の部活の記念式典等には、用事がなければなるべく出るようにしているのですが・・・。

忘れられないのは、数十年前の同窓会。社会人になって初めての同窓会だったと思います。みんな来ると思っていたら、出席率は5割に満たない。まだ、若い頃ですから、引っ越してしまい連絡が取れないという友人は少ないはずです。それなのに参加者が少ないのに驚いたことを覚えています。さらに、驚いたのは参加者のほとんどが、学校の先生や事業主(店長とかになった人、起業した人、家の跡取りをした人)や、そこそこの企業に就職して順風満帆の人たちばかり、一人ひとりの話を聞いていると、それが自慢話に聞こえてくる。そして、みんながそれをちやほやする感じがあり、とっても嫌だったです。私は失業しても、「どんな状況になっても出席してやる」と思ったことを覚えています。

クラス会や同窓会の良いところは、今自分が置かれている社会的状況(職業、地位や役職、裕福かどうか等)に関係なく、平等になれること。友達として、普段言えないことも言えるし、親身になって話も聞ける。

仕事に良し悪しなし、役職身分で人の価値は決まらない。
ですから、クラス会や同窓会が人生の品評会であるならば悲しいです。

過去の自分に戻してくれる会、初心に戻してくれる会、夢見た自分を思い出させる会、そして、友との再会で未来への可能性を広げてくれる会が、クラス会、同窓会ではないかと思います。

あの時の気持ちに戻り、大いに語らい、(さらに)元気になって、明日からの活力になる会が、クラス会や同窓会の良いところだと私は思うのです。

いぶきの同窓会は、みんなで喜び、お祝いし、勇気づけ、応援する場として継続できれば嬉しいです。



こんな商売はやめて欲しいなぁ [◆徒然なるままに 「自分らしく生きる」]

コーチ屋という商売(?)をご存じだろうか。
競馬などで適当に予想をして馬券を買わせ、当たった人からお金を取る。もちろん当たらない場合は逃げる。「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」というわけである。外れても自分が損をするわけではなく、当たればお金が入る。

コーチ屋は違法であるが、合法内で似たようなことをしている人がたくさんいるような気かしてならない。

もちろん、良いお店、良い商売をしている人もたくさんいる。すごく助かったことや、気分が良くなることも多い。しかし、そうではないことも少なくない。ムッとするお店や営業マンもたくさんいる。

良くあるのは、「取材したい」、「ホームページをつくります」、「インターネットで紹介したい」など。無料でやるようなニュアンスで言ってくるので、「取材して掲載するときにはいくらかかるのですか」と聞くと、結局費用が発生することがばれる。知らない雑誌や見たことのないチャンネルだったりする。

インターネットの学習塾掲載サイトなどは、もちろんお金を払っているところが優遇される。お金を支払わないと掲載すらできず、学習塾を探している人たちの選択肢から外れてしまう。そして掲載された学習塾だけが良い学習塾のように映る。そんなサイトの営業は半分脅迫されている気分になる。しかも、そのサイトの中の塾だけでランキングを作っていたりするところもある。完全に、いぶき学院はランキング外となるのである。「掲載されないと、あなたの塾は選択肢から除外されますよ。嫌だったらお金を払ってください」とは言われはしないが・・・。いくら商売とは言え、どんなもんだろうか。

失礼だと思う電話には、テレビ番組の制作会社も多い。結構テレビ関係の連絡は多い。過去実際に出演したり取材を受けたテレビも、テレビ東京の報道番組、フジテレビ笑っていいとも、同めざましテレビ、同クイズ番組のシミュレートへの協力等が過去あった。年に数回は電話が入る。しかし、そのほとんどは条件が合わないというよりも、企画書をFAXしますと、企画書は来るもののその後連絡が無いというケース。電話では「何とかお願いします」と言っておきながら、2度と電話がかかってこない。色々な塾に連絡をして一番合いそうなところに決めて、それ以外はほったらかしなのかもしれない。「申し訳ありませんが、別の塾に協力してもらえることになりました」くらいの連絡は欲しいなぁと思う。先月「教室をロケに使わせて欲しい」と言ってきた制作会社のKさんは、きちんと断りの連絡をしてくれた。思わず「頑張っていいのを撮ってね」と声をかけた。本当に頑張って欲しいと思う。

「出版しませんか」も一時多かった。「いくらかかりますか」の一言で撃退してきた。ところが「無料です」というところがあった。ではどこでお金がかかるのかと思って聞いていくと、「出版費は当社で全額負担します。ただ、初めに○○冊買い取りをお願いします。」と言ってきたが大きな金額ではない。
すると、本気で出版を依頼してきたかと思ってしまう。とりあえず担当者と会うことになった。「何人か候補者がいるので、鈴木先生に決まるかどうかわかりませんので、今日は色々話を聞かせてください」と言ってきた。
そして「金曜日に会議がありそれで誰に書いてもらうかを決めさせていただきます」と言い残して帰って行った。金曜日の夕方、「鈴木先生に決まりました。是非書いてほしい。」と電話連絡。
しかし「条件なんですが、鈴木先生の場合は○○の方が良いと思うので○○してください」と金額が変わってきた。これは流れも言っていることも変だと思い、すぐに返事をせず知り合いの作家の先生に相談。「本は簡単に売れない。原稿があっての出版だから、その原稿が書きあがるのにしっかり付き合ってくれる人でないと無理。本を出したければ自分が出版社を紹介するよ。」とのこと。
相場のことやら何やらも聞いて、その営業にその旨を伝えると「検討してまた連絡します」と言われたが、2年ほど連絡を待っているのだが連絡は無い。たくさんの人に声をかけて、さも選ばれたごとく思わせて、とにかく字数をたくさん書かせて本を作り費用を取る。売れても売れなくても、内容の良し悪しなんか構わないということだろう。この人は何のために仕事をしているのだろうか。

学習塾のコンサルタントも危険はある。もちろん素晴らしいコンサルタントも、いることは知っているが・・・。たくさんの学習塾の顧問になって、コンサルタントをする。うまくいかない塾がたくさんあっても構わない。売り上げが上がる塾があればいいからだ。自分で塾を開くより危険性は少ない。閉塾となっても、次々と新しい学習塾と契約を交わせばよいわけである。

学習塾も似たようなことが起きていると思う。一部の学習塾ではあるが次のようなことがある。一つは、授業料を増やすために、必要のないほど多くの回数通塾させる。受験生など目の前に迫る入試での不安をあおって、無駄に多くの授業回数を勧める。内容も無駄がある。「わからなくなっているところから指導します。」はその方がいい子もいるが、非常に危険である。効果が薄く、お金と時間と努力の無駄になることがある。面談で要望を伝えたり、子供の様子やこれからの指導法について聞きたいのに、面談時間の大半が講習の時間数のことばかりになってしまう。

そして、もう一つは合格実績。合格実績は売りにしていない、いぶき学院であるので、ちょっと皮肉っぽいかもしれないが、勉強のできる子にたくさんの学校を受験してもらうとか、成績のいい子に授業料は無料でいいから、在籍していることにしてもらうとか、合格実績をアピールしてたくさん塾生を集め、引っ張る授業(わからない人がいても構わない。宿題をたくさん出す。)をして、ついてこられた人に合格実績を出してもらう。たくさん集まれば、合格実績は出るのは当然。成績や学力が伸びない人がたくさんいても、一部の上位者が実績を出せれば良い。これらは、コーチ屋の手法なのである。

学習塾をビジネスととらえることは間違ってはいないが、人ひとりの人生を左右する重要な仕事である。私はとにかく行った高校で頑張れる子供たちになって欲しい。高校受験は通過点であってゴールではない。子供達にはしっかりと人生のゴールを目指して頑張れるようになって欲しい。



最善を尽くす [◆徒然なるままに 「自分らしく生きる」]

今年、ずっと頭の中で繰り返している言葉があります。

それは、「最善を尽くす」です。
どんなことにでも、今自分の全ての力を注ぎこむ。
手抜きをせずにできることを精一杯やる。

先のことを心配してもわからないので、「今を精一杯やることしかできないだろう。精一杯やったのなら悔いはないだろう」と思うのです。
ただ、精一杯やることを言い訳にはしたくありません。「頑張ったから仕方がない」とは思いたくありません。
なぜなら、絶対に達成しようとしている目標があるからです。
そして、どんな結果になろうとも、次に進むために「最善を尽くす」ことをしていきたいです。


結果はわからない。
だから、最善を尽くす。

今やっていることが正しいかどうかわからない。
だから最善を尽くす。

相手が何を思っているのかわからない。
だから最善を尽くす。

できることは、今を一生懸命に生きること。
目的があるから、最善を尽くすことができる。
自分の中の夢を実現するために。

結果を恐れない。
最善を尽くせば、恐れる必要はない。
必ず結果はついてくる。

自分を信じて、最善を尽くす。

そして未来を信じる。
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