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簡単な問題はできるのに・・・ [◆教育の役割 「教育は日本を変える」]

 知らず知らずに年を取り、以前と同じことが出来ると思っているのにできなくなる。
 少しは上達していると思うので、前よりハードな計画を立てると、とんでもない。途端に体が悲鳴をあげる。そして、病院や整体通い。

 整体で「肩が痛い」と言うと、肩ではなく手や足や別のところを施術し始める。


 勉強も似ているところがある。例えば「簡単な問題はできるのに、少し難しくなるとできない」と言う場合。「それでは、少し難しい問題や応用問題を中心に勉強しよう」は解決に繋がらない場合がある。「できない問題があるから、その問題をできるようにしよう。だからその問題を勉強しよう。」では本当にできるようにはなるとは限らない。それはできない原因がそこかどうかわからないからだ。

このようなケースは、簡単な問題、つまり基本問題の練習が不十分だったり、基本問題を解くプロセスがいい加減だったり、基本的な事の理解が不十分であることが原因であることが多い。しかも、難しい問題ができないのなら、なおさら基本問題を完璧にすることが、自信にもつながり、試験での確実な得点を生み出すのだ。
数学や算数で「計算はできるけど応用問題ができない」と悩むより、「計算だけはできる」と自信を持つことだ。そうすれば、文章題は式さえ作れればOKとなり、『問題文の把握=問題文の理解』をすることで式が自然に生まれることに気が付くと思う。

基本の理解と定着が応用力に結びつくことを忘れてはいけない。うまくいかない時は、どんな時でも「基本に戻る」ことが大切だと考える。

豊かさの提案 [◆教育の役割 「教育は日本を変える」]

 またまた営業の話。

危機感をあおり、必要性を強調し、高い料金を提示してくる。渋ると別の商品を出してくる。渋らなければ高いものを買わされてしまう事になる。本当にお客が必要なものなのかどうかは関係ない。高く売れさえすれば後はどうなっても構わない。そんな営業の人いませんか。

 同様な学習塾も存在する。危機感をあおり、必要性を強調して、たくさんの授業を提案してくる。教育、まして自分の子供の将来がかかっているとなれば、大金も惜しまず支払ってしまう。本当にその子に必要な授業かどうかは関係ない。たくさんの授業を取ってくれればそれで後はどうなっても構わない。

 押し売り的な営業。売ったら終わり。後はどうなっても構いません的な営業は、日本をダメにする。なぜなら人の役に立っていないからだ。生活の豊かさの提案が無いからだ。

 私は20代の時に、「企業は人に生活の豊かさの提案をするものだ。」と某コンサルタントの研修で何度も何度も言われ叩き込まれた。そのコンサルタントと出会えなければ今の自分は無いと思っている。本当に感謝している。

 色々な子供たちがいる。いぶき学院に期待していること求めていることは、「成績の向上」、「志望校への合格」が90%。あとの10%は、「生活習慣、態度の改善」や居場所(安心や癒し)かもしれない。そして、現状とそれらが何のためかまで聞いていくと、本当に1人ひとり目的が違う。だから我々の接し方や指導法が塾生の数だけ存在することになるのだ。

 グループ指導では10人程度の塾生に同じ話をして、同じ問題を演習させるのだが、1人ひとりへのアプローチは異なるものとなる。

 例えば発問(考え方や解答を聞く)についても細かな配慮が必要だ。1人の塾生に集中してあてる。順番にあてる。ランダムにあてる。挙手させてあてる。考えを聞く。理由を聞く。解答を聞く。プロセスを聞く。その先どうなるかを聞く。絶対に解答できない事を聞く。難しい事を聞く、解答が明確な事を聞く。正解を出していることを確認してあてる。時間を与えてからあてる。発問後に間をおいてからあてる。発問後すぐにあてる。指名しておいてから発問する。全員に聞く。他の塾生の考えについて聞く。説明してから発問する。発問してから考えさせる。考えさせてヒントを出していく。結論を話してから理由を聞く。ノートに書かせてから聞く。など切りがない。

 それらを、その日の塾生の様子も加味して瞬時に判断して使い分ける。なぜなら、1人の塾生も疎かに扱いたくないからだ。彼らはみんな素晴らしい人間であり、将来多くの人を幸せにできる力を秘めている。そして自分自身も喜びを感じていくことになる人間たちだ。だからこそ、それを応援したいと思う。中にはスポーツで生活をしていきたいと考えている子もいる。我々はそれを全面的に支援して、我々のできることをやっていきたいと考えている。

 子供たちは、可能性と夢と希望の種子。我々の役割は発芽させて花を咲かせて実を実らせることだと考えている。

 だからこそ、その子に合わない指導や提案はしてはいけないのだ。その子に合う提案やアドバイスをして、指導していくことで目標が達成され、夢が叶い、限りなく成長していけるようになって欲しいと願っている。そんな人間が溢れかえったら、どんなに日本は良い国になるかと思うと楽しくて仕方がない。

 生活の豊かさを提案できる学習塾でありたい。そのために、嘘をつきたくないし、ずっと正直な学習塾でありたい

苦しい道を選んだ人達③ “あきらめ” [◆教育の役割 「教育は日本を変える」]

 小学生の頃、初めて長距離を走った。長距離と言っても校庭を3周程度だろう。いやもっと少なかったかもしれない。距離にすれば500mとか800mくらいかもしれない。すごく苦しくて、同じペースを保つのは大変な事。長距離なので友達と並走する時間が続くときがある。「つらい」、「スピードを緩めよう」、「もうだめだ」、「そうすれば楽になる」と思った時に聞こえてきたのが、友達の苦しい息遣い。「はぁ、はぁ、はぁ」・・・。「あ、苦しいのは自分だけではないんだ。誰だって苦しいんだ。」と気づいた時。友達は後ろに下がっていた。

 それから私は、「苦しいのは自分だけではない」と言い聞かせ、当時のアニメ『巨人の星』にも多大な影響を受け、頑張り合いでは強かった。プールで息を止めて潜っていられる時間を競うようなことも体育の時間にあったが、いつも最後の頃まで残った。中学の野球部時代、中学入学当時の身長が134cmだった私は、足も遅く、非力で投げること、打つこと全てチームメートに劣っていた。180cmもある友達と比べたら大人と子供だ。しかし、チームの誰にも上級生にも絶対に負けなかったことがあった。それは全勝だった!それは、うさぎ跳び。塁間5往復のうさぎ跳びをトレーニングの一環としてやっていた。必ず1番でゴールした。競った時は「彼も辛いんだ」と言い聞かせて頑張った。短距離や力の必要な運動、スポーツは弱かったが、競り合ったら負けなかった。

 私の昔話はどうでもよいとして・・・失礼しました。

 さて、私が言いたかったことは「誰でも辛いんだ、自分だけが辛いわけではない。」。だから「もうひと頑張りしよう。あきらめなければ必ず成功する。」と言うことです。


 しかし、「頑張る意味が分からない」とか「頑張らなくても大丈夫」なってしまう子が目立ちます。


 最大の目的をあまりにも身近に置いていませんか?

 志望校合格が最大の目標になっている場合、頑張らなくても合格できればいいことになります。これは今の受験制度にも問題が多く、大学入試で一般受験をしないでたくさんの高校生が大学に合格しています。もちろん、推薦入試で合格するためにすごく苦労して頑張って入る子もいますが、簡単に入ってしまう子もいます。高校受験でも志望校のレベルを下げて推薦ならば早く合格が決まります。合格が決まると急に生活が楽になります。でも、入った跡が大変なんですよね。

 私立中受験は受験校によって違いますが、難関校に合格することが最大の目標ならば、合格した瞬間その子の人生は終わります。たった12歳の子供達ですから12年間の人生です。ほんとうに大切なことはその後にあるのにも関わらず。合格するために、丸暗記・詰め込み・テクニックを駆使して合格して、その後の人生はどうなってしまうのでしょうか。しかし、合格が最大の目標ならばそれでもかまわないということになります。


 頑張らなくてもよい環境がありませんか?

 親が何でもやってあげてしまう。全て親の管理下に子供を置いて、子供に指示を出す。子供ができないことは、親がやってあげる。せっかくの失敗も親が全ての責任を取ってしまい、子供に失敗したという体験、責任を取るという機会を奪い続けていませんか。それは、我々学習塾や学校にも言えることです。その子に携わるすべての人が、その子が自律できるように方向性を一つにして接していくことが必要です。

 病気やけがや障害を持つ子の場合は、理解してあげた上で接することが必要ですが、うまく自分のことをコントロールできない子の全てが、病気や障害があるとは私は思いません。「この子は体が弱いから」、「この子には障害があるから」と周りで言い続けていたら、正常な子でもそういう気持ちになり、それを言い訳に使うようになります。「僕は体が弱いからできないんだ。」、「私は障害があるから、自分でやりたくてもできないの。誰か手伝って。」

 だからこそ、今までの育った環境や家族の接し方まで考えた上で、本当にそうなのかを判断し、それに応じて適切に対処していくことが、その子の一生をより良いものにしていくのではないでしょうか。


 「あきらめない」・・・「夢を諦めない」、「将来の成功を諦めない」、「子の未来の幸せを諦めない」

 そのために、我々は子供たちの可能性を信じ、「あきらめない」子供達になって欲しいし、子供たちに自律して欲しいのです。

 本人の辛さ、親御さんの想いを考えると、私には諦めることはできません。


自分を高める③ 「点を取ることって大切?」 [◆教育の役割 「教育は日本を変える」]

 中高生の定期考査(定期試験)で点を取ることは大切なことですか?

 もちろん大切ですよね。

 中学3年生(9年)は試験結果で内申点が確定し、その内申点で高校の合否が決まるのですから。

 高校生は、赤点となると進級ができなくなってしまい留年となり、次の年は後輩たちと同じクラスになってしまいます。

 大学受験でも指定校推薦を考えている人達にとっては大切なテストです。

 そして、大学付属の高校生のみなさんにとっても、進学や志望する学部に入るために重要なテストです。
合否や進級に関係なくても自分が頑張った結果ですから、大切であることに間違いありません。

 しかし、その点数で一喜一憂することはいかがなものでしょう。結果は一喜一憂するものではなく、受け止めて次に活かすものです。

 ですから、どんな点数を取ったにせよ分析し、次のテストの対策を立てることが大切です。

 それは100点を取った時も分析が必要です。最終的な目的に対してその内容が充分であったかどうかを検証します。

 ただ、充分であるかどうかは実際にはテストを受ける前にだいたいわかっています。試験対策の授業で、試験範囲の理解度がわかります。そこで、問題が無ければ試験結果の如何を問わず、次のステップへ進むことができるのです。

 つまり、試験の得点は目標であり、それに向けて学習することで、最終目的に到達するために必要な学力を養うことこそが大切なのです。

 もちろん、その最終目的を達成するために直接関係するテストでは結果が求められることは言うまでも有りません。

 例えば、中学1,2年生(7,8年生)は点数よりも内容勝負です。高校受験や高校進学のための学力をつけ、中学3年生(9年生)の時に力が発揮できる状態をつくりあげることが重要です。

 90点を取っても、肝心なところがわかっていなければ、先々まずいことになります。95点を取っても、正解の導き方のレベルが低ければ、いつか伸びは止まります。100点を取っても、理解されていないのならば、、入試では通用しません。50点であっても、理解ができているケースも多くあります。その場合は次の単元へ進んでいけば良いのです。

 多少点数が悪くても、肝心なところでなければあまり問題ありません。むしろ「うっかりミス」の方が問題で、勉強不足であることが明白であるので、勉強量を増やす必要があります。

 いぶきでは、(小学生から継続して)中1,2年時には、高いレベルでの解答をめざし、理解して説明できるように指導しています。塾生の多くは中学3.年生で過去最高得点を取ります。成績も中学3年生は毎年90%以上の子が上がっています。それは当たり前のことで、そこを目指して中1,2年の時から重要事項の抜けを防ぎ、理解させた上で基本通りに繰り返し学習させているからです。

 お母様、お父様は当然点数に敏感です。86点が78点に下がると不安になります。お気持ちは分かりますが、お子様の頑張りに目を向けたり、や答案の中「キラッ」と光るところを見つけてあけていただければ、お子様は少しずつですが前向きになっていくものです。