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◆教育の役割 「教育は日本を変える」 ブログトップ
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基本で決まる何事も「学力をつける学習法」② [◆教育の役割 「教育は日本を変える」]

 たくさん計算しても、たくさん漢字練習をしても、たくさん本を読んでも、たくさん問題を解いても、英会話にたくさん通っても、海外留学をしても、学習塾でたくさん授業を受けても、一生懸命に仕事を覚えようと努力しても、伸びない人が大勢いるはずです。

 また、得意なことと不得意なことがあるのが人間です。得意なことは誰よりも上手で、不得意な事は頑張っても上手く行きません。

 伸びない原因、不得意な原因が“基本”ができていないという事ならば、そこを変えることで伸びるようになるはずです。

 ですから“基本”から学ぶ、又は“基本”から学びなおせば、人は伸びていくと思うのです。


 ところが、それができない人が多いのです。なぜなら、次のような人が多いからです。

① “基本”を教わろうとする人
② 結果を気にする人
③ 「覚えればできる」と思っている人


 “基本”は学ぶもので教わるものではありません。自分で考えることで学ぶことができます。


 「結果が出ないと意味が無い」と思う人は、なぜ“基本”を学ぶのかを理解していません。

 伸びるために、成長するために、“基本”を学ぶのですから、結果を糧とすれば伸びるはずです。悪い結果ならなおさら伸びるヒントが多くあるはずです。改善点が多ければそれだけ良くなります。

 もし、気になる結果が他の人と比べたもの、例えば平均であるならばなおさらです。比べるのは過去の自分自身であるべきだからです。

 又、“基本”に戻るとなると一時的に結果が悪くなるのが当然です。結果を求めるためにやっていたこと、暗記などを止め、結果を求めない気持ちをもつことになるからです。
目の前の結果を捨てて、未来の結果を得るためです。


 「覚えればできる」ということは、覚えなければできない、忘れたらできないことになります。我々が目指すのは「覚えなくてもできる」だからです。


 “基本”を学ぶためには、
 何となくやるのではなく、目的を持ってやることです。

 目的を持たないと、全てにおいてぶれが生じますぶれが生じると、前に進まなかったり、とんでもない場所に辿り着いたりします。それでは、運任せの漂流です。

 目的を持っていれば航海をすることになり、目的地にたどり着くことができるでしょう。

 そして、何となくやるのではなく、考えてやることです。

 考えるのは意味、そして理由です。そこを飛ばして答を出そうとすると伸びなくなります。

 つまり、ここでいう“基本”とは目的を持ち、意味と理由を考えることです。



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疎外感と一体感から考える不登校(2) [◆教育の役割 「教育は日本を変える」]

 私は、心理やカウンセリングについて勉強していますが、不登校の専門家ではありません。ただ、何十人もの不登校の子に接してきた経験からお話をさせていただいています。

 「学習塾がなぜ不登校の子と向き合うのか」と聞かれることがあります。その理由は、我々の役割が、社会に貢献できる人間を育むことと考えているからです。将来、誰かの役に立てる人間になり、人に感謝し人に感謝される人間になって欲しいと思うからです。

 不登校になった子は社会貢献ができないわけではありません。むしろ、不登校の経験が強みとなり、社会貢献できるようになって欲しいのです。ですから、不登校は悪いことではないのです。

 不登校も一つの経験です。その経験を糧として本人に変化が起きていくことに期待します。

 その変化の中に不登校からの脱却があります。その変化は本人にとって大きな意味があると思うのです。ひとつの壁を自分の力で乗り越えたという自信を得ることになるからです。これから、社会に出ると色々な壁が立ちはだかり、行く手を遮ります。でも、どんなことでも乗り越えた経験を持つ人間は強いはずです。


 不登校になる要因は複雑かつ千差万別で、その要因によって対応は微妙に異なります。

 しかし、複雑かつ千差万別な要因であるが故、逆に単純であるとも言えます。

 最終的な目標は、《自分で前に出ることができる》だと、私は思います。そこにたどり着く道程は一人ひとり異なります。でも道順はあります。①自分で決める。②自分で実行する。③自分でその結果を受け止める。そして《自分で前に出ることができる》にたどり着くと考えています。

 今まで、そこにたどり着いた子達は不登校から脱却しています。しかし、そこまで達したところを見られなかった子もいます。それを見られなかった子達については、原因を究明できなかったケースがほとんどです。

 私はたかが学習塾の先生かもしれませんが、保護者様が自己開示をして、自分をさらけ出す姿を何度も見ました。親が子を思う姿に心打たれたことも少なくありません。

 本人と真剣に向き合うには、まず保護者様が自分としっかり向き合う事、客観視して自分を変える覚悟を持つことが大切であると思っています。


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基本で決まる何事も「学力をつける学習法」① [◆教育の役割 「教育は日本を変える」]

 大学生時代、卓球をやっていた私は当時全日本選手権に出場した先輩の話が今でも忘れられません。「セットオールで最後の最後にどっちが勝つかという時に、何で決まると思う?」

 サービス力、3球目攻撃、レシーブのうまさ、守備力、攻撃力、コース、スピード、フットワーク・・・?何が勝負を決めるか分かりません。

 少なくともハイレベルでの戦いを想定すると、高い技術、必殺サービスや高度なレシーブ、高速スマッシュなど誰にもできない技が試合を決めるのかと考えていました。

 ところが

 「それは、基本で決まるんだよ。」

 どれだけ基本練習をしていたか、どれだけ基本ができているかが大切であるということです。

 今でも覚えているくらいですからインパクトがあった話でした。


 私は卓球を始めた高校の時、誰からも教わらず見よう見まねで始めたため、基本ができていません。時々先輩や同輩に指摘される程度で、指導を受けることよりも本を読んで学んだことの方が多かったのです。

 大学生の時は卓球の練習にかなりの時間費やしていましたが、どうしても思ったように上手くはなれません。時間もかけ一生懸命にやったことは間違いありませんが、どうしてももう一つ上のランクへは上がれませんでした。


 他にも似たようなことは沢山あります。スポーツ大好き人間だったため色々なスポーツをしましたが、どれも多少はできるようになり、ある程度できると思うのですが、一流どころか二流にもなれません。スケート、スキー、水泳、バスケ、なども少しは上手にできるとは思っていましたが、凄く上手いという領域には達しません。

 唯一、基礎から指導を受けたスポーツがありました。それはサッカーです。小学生の時Jリーグの前身のチームが小学生を集めて指導していたからです。

 ですからサッカーが一番伸びしろはあったかもしれませんが、中学時代は野球に没頭するようになっていました。ただし、野球も体が小さすぎ(中学入学時身長134㎝)で3年間続けるのが精一杯でした。


 私は、伸びるか伸びないかが“基本”で決まるのはスポーツだけではなく、全ての物事がそうであると考えています。


 もちろん、学力も基本で決まります。人間も基本で決まります。


 ここでは、学力のについて考えたいと思います。

 前述したように、私の大学時代は卓球漬けで、球を打てる時は打ち、打てない時はトレーニングをしている日々を過ごしていました。本当に一生懸命にやったと思っています。でも、伸びないんです。

 勉強も一生懸命にやっても伸びない子がいると思いますが、それと同じです。

 たくさん計算しても、たくさん漢字練習をしても、たくさん本を読んでも、たくさん問題を解いても、英会話にたくさん通っても、海外留学をしても、学習塾でたくさん授業を受けても、一生懸命仕事を覚えようと努力しても、伸びない人がいるのです。

 もし、伸びない原因が“基本”ができていないという事ならば、そこを変えることで伸びるようになるはずです。私は、頑張っても伸びない原因のほとんどは“基本”にあると思うのです。


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疎外感と一体感から考える不登校(1) [◆教育の役割 「教育は日本を変える」]

 平成29年10月25日東京都から発表された中学生の不登校の割合は3.78%でした。中学生で100人あたり約4人と言うことですが、実際にはもっと多い気がしてなりません。塾生にクラスに不登校の子がいるかどうか聞くと「5人」と答える子もいるくらいです。

 要因として、「不安」、「家庭に係る状況」、「いじめを除く友人関係をめぐる問題」などがあげられています。ところで、「不安」とは何に対しての不安なのでしょうか?なぜ「不安」になってしまうのでしょうか?

 さらに、不登校の問題に対する、『これまでの取組』が述べられているのですが、不登校になりそうな児童、生徒の相談に対応しますとうことは有りますが、ほぼ全ての取組は不登校になった児童、生徒の支援となっています。

 不登校からの復帰率は約25%ですから、不登校になった子の75%は復帰できないということです。


 私は、復帰するための取組は大切だと思いますが、不登校にならない取組により力を入れるべきだと考えています。

 私は、今まで多くの不登校の子と向き合ってきました。そして、その子たちが学校へ復帰する姿、大学受験を目指す姿を見てきましたが、復帰するまでには多くの労力(人手)と時間がかかります。

 不登校になりそうな頃、早期に対応すると不登校にならずに済むことも有ります。

 したがって、早期発見、早期対応がまず大切で、一旦不登校になってしまったら、本人としっかりと向き合い長期戦を覚悟して対応していくしかありません。

 そして、復帰を目指すなら中学生は、定期試験、新学期、新年度、高校入学、大学進学がそれぞれチャンスとなります。ただ、チャンス多く訪れるのですが復帰には時間がかかると考えて下さい。

 確認しておきたいのですが、不登校になった子が悪いわけでは決してありません。同様に、ご家族、ご両親が悪いわけでもありません。不登校の要因として「家庭に係る状況」とありましたが、私がお会いしてきたご家族に悪い人は1人もおりませんでした。けっしてご家族、ご両親は自分自身を責める必要はありません。

 私は不登校が問題ではなく、問題は不登校になった原因だと考えています。

 そこを解消しないと、今後の社会生活に支障が出るかもしれないと思うからです。

 そのためには、原因の究明と、ご家族やご両親の変化が必要になると考えます。

 過去の自分は変えられませんが、未来の自分は変えることができるからです。


※この話はデリケートで、しかも個々の事情が異なるため、私の話が当てはまらないかもしれませんので、その場合はご勘弁ください。


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疎外感と一体感 [◆教育の役割 「教育は日本を変える」]

9月から12月には、多くのイベントが開催され、大井町から教育を考える会の相談会もそのうちの1つです。いぶき学院のイベントもあり、休みがあまり取れないのが当たり前となっています。

心身ともに疲れはしますが、そこで多くの人と出会い多くの事を学ぶことで、新しい発想につながっていることは確かです。体を労わりつつ、引き続き色々な方のお話をおうかがいしていきたいと考えています。


ところが、イベントの中には「もう2度と参加したくない」と思うものもあります。もちろん「また必ず参加したい」と思うものもあります。

この違いはどこから来るのだろうと考えてみて、たどり着いた結論は、“疎外感”を感じるか、“一体感”を感じるかということです。

全てがオープンで出席者全員が参加者になるような会は“一体感”を感じることができます。


たとえば、会場(受付)に行くと、顔を見るなり元気良く「こんにちは」と挨拶され迎え入れられる。礼儀とけじめと感謝の気持ちが伝わってくるイベントです。

そのためには、運営サイドが統一された目的持っていること、責任の所在が明確で指示系統にぶれがないことが必要かなと思います。

大げさな話になってしまいましたが、友達と会って少人数で食事をする場合でも、自分の知らない人がいると、紹介してもらうか自己紹介し合うまで、私はなかなか打ち解けることができません。そこにいる人がどういう人なのか分かると気が楽になり、全員で盛り上がれるようになります。

また、良くやってしまうことですが、同郷の人だと分かると、その人と自分しか分からない話をしてしまいます。しかも、互いに知っている話は楽しく、しばらく2人だけの会話になってしまうのです。

そうすると、周りの人に“疎外感”が生まれてしまいます。“疎外感”が生まれないようにするには、周りの人に「実は彼は同郷で、しかも実家が近所なんです」と説明をします。そして、2人の会話に解説を入れつつ話を進め、時には「あなたの故郷ではどうですか」と振ってみると、みんなで盛り上がることができる話があるはずです。

でも、つい2人だけの会話になってしまうのです。


以前、御茶ノ水でラーメン屋さんに1人で入った時のことです。ドアを開け、空いている席が奥の方に有ったので入って行きカウンターに座ったのですが、「いらっしゃいませ」もなく、水が出てくるわけでもなく、注文を聞かれることもなく数分経過しました。凄く寂しい気持ちになり外に出たことがありました。そこで感じたのは“疎外感”でした。


自分を受け入れてくれない。解ってくれない。無視されている。存在自体に気がついてくれない。見向きもしてくれない。こんなに頑張っているのに・・・。

“疎外感”ほど辛いものは無いかもしれません。

誰でもこの世の中に必要な存在で、役割を持って生まれてきたのは間違いありません。ですから、疎外される理由は有りません。自信を持って生きていきたいです。

そのためには、今在る自分は多くの人に生かされているという現実を受け止め、自分に関わる人達に感謝の気持ちを持って人と接していくことだと考えます。

「ようこそ」、「こちらこそありがとう」
「これからもよろしく」、「こちらこそよろしく」


どんなに立派なイベントであったとしても、そこには人と人とのつながりがあるはずです。大切なのは、何をやるかではなく“一体感”ではないでしょうか。

イベントに行くか行かないかの判断は、『何をやるか』ではなく『誰がやるか』で判断している自分がいます。

少なくとも、私は常に感謝の気持ちをもって“一体感”を感じ、みんなと共に過ごしたいと思います。


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“結果”はついてくるもの、出すものではない [◆教育の役割 「教育は日本を変える」]

小学生は中高生と比較して答えが正解かどうかを気にする傾向が強いと感じます。

宿題を出すと、ノートが解答欄となっていて答えしか書いていないことがあります。「計算はどこにした。」と聞くと、「別の紙にやった。」と言う子もいます。

しかし、いぶき学院の小学生で算数の宿題を答えだけしか書かない子を現在は見かけません。入ったばかりの時は答えしか書いていなかったり、途中式を書いていなかったり、横に「=」を書いていく子もいますが、数か月でノートの書き方が変わってきます。

式を書き途中式も入れて答えを出すという流れは、どんな場合においても不変なものです。それを小学生の頃から身に付けて、長い年月積み重ねると大きな差が生まれるのです。

又、大切なことは“答えを出す”ことではなく、“答えを出すために頑張る”ことであるという意識にもつながります。


先生や親、家族が、“結果”しか見ないで、“頑張り”を見ていないと、子供は当然やる気を失います。

答えを出すことを第一と考えるので、式も途中式もありません。目的も理由も考えません。周りも先も見ません。目の前の“結果”を出して親に認められる(褒められる・叱られない)ことしか考えなくなるからです。

“頑張り”は、やがて“結果”を出します。もちろん“結果”が出なくても“頑張り”続けることで人は成長し、気にしていた“結果”はどこかに行ってしまい、そこには“頑張った”という何にも代えがたい“結果”が残ると私は思います。

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宿題が終わらない [◆教育の役割 「教育は日本を変える」]

「自分の子供(小学生)に宿題が終わらないから学校へ行かない。」と言われたらどうしますか。

「学校へ行かない」は親にとって辛い言葉かもしれません。

宿題は何のためにやるのでしょうか。

それぞれお考えがあると思いますが、最近(?)、宿題をやってくれるサービスがあります。読書感想文や論文も書いてくれます。そこの企業に依頼して宿題をやってもらうことも一つの手かもしれません。

宿題をやる目的が学校で叱られないためとか、成績を下げられないため、合格するためであるならば、第三者にやってもらえば済むかもしれません。

しかし、その先を考えた時その子はどうなってしまうでしょうか。

時と場合によって宿題の目的は異なりますが、主に学力の定着や学力をつけるためと考えられます。そこを目的とすると、やってもらうという選択肢はありません。

教えてもらうは残りますが、これもやってもらうに近いかもしれません。と言うことは誰にもやってもらわず、教えてもらわず自分で考えてやるしかありません。間違っていても構いません。

宿題を出す側としては、頑張って考えて出した答えが違っているならば、そこを分析して指導できるので、むしろ間違ってくれた方が良い時があります。適当にやってこられるのが一番困ります。それが正解でも間違いでもです。

又、宿題の目的が頑張らせるためであることがあります。この場合、正解かどうかとか出来栄えはあまり重視されませんが、終わらなければ学校や塾で、それなりの結果が待ち受けていますので、それを自分の責任として受け入れることになり、それが次につながります。

いずれにしてもやってあげることは良い方向に結びつきません。


ちなみに、小学4年生に「大人になって、パパ、ママになって、自分の子供に宿題が終わらないから学校へ行かない。」と言われたらどうすると聞いてみると、返答は「無理やりにでも学校へ行かせる。」、「次から早く宿題をやるように言う。」でした。 


子供達は自分でやらなければいけないことを知っていて、「宿題が終わらないから学校へ行かない。」と、親を利用するのです。

「自分の宿題は自分でやりなさい。終わらなくても学校へ行って、先生に終わらなかったことを自分で言いなさい。」、「一生懸命にやる事が大切なんだよ。」、「1人でできると信じているよ。」と言い、終わった時は頑張った事や信じていたことを伝えてあげます。

終わらなくても一生懸命にやろうとしていたならば、それについて「よく頑張ったね。」と言えるはずです。そして、学校へ行って先生に自分で言った時「ちゃんと言えたね。」と言うことができます。

子供の頑張った事、逃げたり諦めたりせずにやり遂げようとした事、自分の責任を自分で取った事に焦点を当てて、親の気持ちを伝えましょう。

「自分でできると信じていた。私は嬉しい。」


子の成長を見ることは親にとって嬉しいものですよね。


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ありのままの自分をぶつける [◆教育の役割 「教育は日本を変える」]

この年になると体のあちらこちらがおかしくなるもので、病院と整体(マッサージ)が欠かせなくなっている。マッサージは誰がやっても同じと言うことは無い。

ただ「背中を押されているだけ」と感じることもあるし、「気持ち良かった」とか「楽になった」と感じることもあるが、施術後に明らかに体の調子が「良くなっている」ことがわかる時もある。

学習塾や学校の授業も授業後に明らかに学力がつき、それが実感できるものでありたいものだ。


今までも何度も書いてきたことだが「授業は難しい。まだまだ未熟だ。」と思う。

20代の時は3回に1回上手くいけば上出来と思っていた。上手くいくというのは塾生が「なるほど!」と解る授業のことだ。

しかし、今はそれを満足のいく授業とは思えない。今の私が満足のいく授業だと思えるのは年に数回あるかないかだ。

満足のいく授業とは塾生に変化が起こる授業だ。教科に関わらず学習内容を理解し身に付く過程において、人間的成長が見られた時にそれを満足のいく授業と言うことができる。

そのためには、塾生1人ひとりのその時の状態(理解力、理解度、精神状態、健康状態)をこちらがどれだけわかる事ができるかが重要だ。その状態によって、授業の組み立てや話す内容(例や問題)を変えていくからだ。

言葉や言い方、話の強弱やリズムも変える。発問のタイミングと内容、塾生の誰に聞くのか全員に手を上げさせるのか、考える時間と演習の時間と自分の話す時間も秒単位で調整していく。立ち位置や板書なども状況に応じて変えていく。

授業内の全てのことについて目的を持ってやっているかどうかが重要だ。

授業が終わった時、やり切った感があるのは良い時だ。心地よい疲れを感じる。


それでも、得点や成績等の結果が出なければ、ただの「自己満足」かもしれない。

私は塾生がいぶき学院に来てから帰るまで、将来幸せになって欲しいと考えて接している。それが私の目的で、それが志望校合格や成績アップ、学力向上につながり結果が出ると思う。

目の前の試験で得点を取る事を目的とすると、本当に大切なその後が疎かになる。塾生達が本当に大切なものを目指して今を精一杯頑張ることで、結果を出してもらいたい。

そのためには、ありのままの自分を塾生にぶつけていく。勉強についても、大切なそれ以外についても、今私のできる精一杯を出し切り真摯に向き合っていく。

それが人の一生を左右する仕事をする者の責任だと考える。


だから授業において私は、満足のいく授業を目指し頑張る。

もちろんその満足レベルを上げていくため、一生「授業は難しい。まだまだ未熟だ。」と思い続けることになる。おかげで私は一生成長できる。

今自分のできる最高の授業(受けて得する授業・受けないと損をする授業)を1回1回積み重ね、授業のレベルと自分の人間としてのレベルを上げていきたい。

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不思議への寄り道 [◆教育の役割 「教育は日本を変える」]

志望校合格が目的であるならば、合格をするためにどうしたらいいかを考え、その最短距離を目指すことが合理的かもしれないが、私は不思議を大切にして少し寄り道をしたい。

合格の先にあること、人の成長と未来の幸せを考えるとこちらの方が合理的だと考えるからだ。


受験生の授業はどうも面白くない。

身の回りには不思議が一杯で「どうしただろう」、「なぜだろう」が沢山ある。

もちろん、学校の勉強の中にも不思議がいっぱいだ。

ところが受験を控え、塾生が不思議に思っていることでも、興味があることでも、『学校の試験に出る出ない、都立入試に出る出ない』を優先せざるを得ない。

「これは出るからね。」、「ここまでは必要ないから。」となってしまう。

それに対して中学受験をしない小学生は、受験や試験に邪魔されず、不思議一杯の世界を堪能できる。しかも教えない授業をしていると、教科書に書いていない考え方や発想が飛び出してくる。

説明をさせると、日本語の使い方がおかしかったり、説明が不十分だったりしても、何を言わんとしているかはわかるので、それを受け入れてあげると次から次へとそれらは出てくる。

こちらが教えてしまえば新しい発想は出てこない。

こちらがわかってあげなければ新しい発想を出そうとしない。

教えず、わかってあげさえすれば、子供の可能性は本当に無限大であると気づかされる。

出てきた発想をみんなで考え意見を出し合う。そして「なるほど」が生まれるのだ。


『試験』は時に、自分を奮い立たせてくれたり、自分の学力向上に役に立ったり、自己成長にもつながる。

しかし、自分の中にある不思議を無視して結果を追い求めることは、試験の結果しか得ることができないかもしれない。


先にある大きな夢を実現するために、我々は全ての事から学べる事を知り、物事の見方考え方を変えて新たな発見を積み重ねることで、未来を創造していきたいものだ。

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天の川を見たことが無い!? [◆教育の役割 「教育は日本を変える」]

 中学3年生の理科の授業。

 「天の川を見たことがある人」と聞くと手がパラパラと上がる。

 実際に授業が終わり22時ごろ、いぶき学院外に出て空を見ても星は殆ど見えない。本当は夜空に無数の星が輝いているはずなのに、1つ、2つ、3つ・・・と見える星は数える程度だ。

 天の川を見たことがあるという塾生はもちろん東京で見たのではない。

 地球と宇宙の学習を進めていくとさらに驚くことがある。「北極星を見たことがない」程度なら良い方で。太陽が昇ったところ、つまり日の出を見たことが無いと言う子が大多数。

 太陽が昇ったり、沈んだりするところを見たことが無いと言うのだから、私もつい「太陽は見たことがあるよね。」と聞いてしまう。


 私が小学生の頃、太陽や月、そして星は日常だった。

 太陽の方角や影の長さで時間を知り、北極星で方角を確かめた。

 夕方遊んでいると、夕日の近くに金星が輝く。そんな光景を何百回も見てきた。教科書に書いてあることは、極当たり前の事であり教わらなくても身近な事として知っていた。


 ところが、ここは品川区。太陽は気がつくとビルの谷間から見え隠れして、いつの間にか消えてしまう。方角もはっきりわからないから、太陽が昇る方角を知らない子もいる。知っていても覚えているだけかもしれない。本当は年に365回繰り返されることであるので、知っているとか覚えているというレベルではないことのはずだ。


 中学校の理科は身近にある事象の勉強であり、社会に出た時のために困らないための最小限の知識であるはずだが、ここ(品川区)では身近ではない。

 動物も植物も岩石も・・・。そもそも土はどこにあるのだろうか。植木鉢やプランターにある程度。植物もそこに植えてあるものだし、虫もそこに飛んでくる小さなもの。

 ちいさな蚊が1匹教室に飛び込んでくると授業中断となるほどだ。

 ヒト以外の動物で受け入れられるのは、ペットとして飼われているイヌやネコぐらいなもの。

 今日も小さな蛾が1匹、通路の壁に止まっていたため女子が通る事が出来なかった。

 このままでは生物をヒトが見るのは、インターネット上や動物園や植物園でしかできなくなるのではないだろうか。

 間違いなく、自然を感じることが難しい現状がここにある。


 ヒトは自然の中で生きてきた。ヒトそのものが自然であり、自然に生かされているのもヒトである。子供たちが自然から離れてしまうと、そのこと自体を忘れ去ってしまうのではないかと不安になる。

 教科書がタブレットになって、たくさんの知識をそこから得ることができたとしても、本当の自然に勝るものは無い。

 本当の自然からは、知識ではないことを学ぶことができるからだ。

 我々は生かされていること、そして自然のありがたさを子供たちに知って欲しいと願い、授業に力が入る日々である。


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やってますか?“可愛い子には旅をさせよ” [◆教育の役割 「教育は日本を変える」]

 「子が可愛いのなら親元から離し苦労や辛い思いをさせなさい」と言うことですね。

 お父さん、お母さんは今までの人生で苦しい時や辛い時があったはずです。時には絶望の淵に立たされた方もいらっしゃると思います。

 そして、それを乗り越えてきたからこそ今の自分があるのではないでしょうか。その経験が人として成長させてくれたのではないでしょうか。人は一生懸命に生きて失敗し、それを受け止め前に進むことで成長していきます。

 ところが親は、「自分の子供にはそんな辛い思いはさせたくない」、「子供に失敗させないことが親の責任」と考えるのです。


 受験は子供たちを成長させます。
 まず、目的を持って一生懸命に取り組むこと。そして、結果を受け入れて前に進むこと。


 受験以外でも同様で、それらの事によって人は成長していきます。しかし、親が代わりに一生懸命にやってあげて、結果に対しての責任を取ってあげるようならば、折角の子が成長する機会を奪うことになると同時に、子にメッセージを送る事になります。

「あなたは私がいなければ何もできないのよ。あなたは自分の責任を取ることができない人間よ」。

 親が子の失敗の機会や責任を取る機会を奪ってしまうと、大人になってから取り返しがつかないことになります。大人になってからの失敗は、人生を大きく左右するからです。

だからこそ今のうちに、その経験をさせて乗り越える術を身に付けさせるのです。

我が子が、苦労や辛い思いをせず失敗もしないで大人になっていくことは、子供の幸せを願う親としては避けたいものです。

今年の「親の勉強会」12/2のテーマは“可愛い子には旅をさせよ”です。


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伸びる人、伸びない人⑤ “わかってる”を目指せ! [◆教育の役割 「教育は日本を変える」]

 1人での学習で一番怖いのは、正解したら大丈夫と思ってしまう事です。

 実は他に解き方が存在して、他の解き方の方が、応用が利くことは少なくありません。

 家庭教師や学習塾、特に個別指導でも正解したら次へ進む傾向があります。いぶき学院の個別の先生の報告に「説明をさせたらわかっていなかった。」、「答が出ればいいと思っているかもしれない。」と言う話が出てきます。いぶきでは、目的と理由を大切にしているので、先生たちも正解が出ても、塾生が「わかってる。」ということではない事を知っています。(いぶき学院は違うとう自慢話でした。)

 その点、グループ指導は1つの問題で、色々な考え方が出てくるので面白いです。他の子の考えを自分の考え方と比較したり、我々の説明でさらに新しいことを知ったりする事ができるのです。

 ただし指導者が、それを引き出すことができること、他の人の考えを受け止めさせることができないと、「正解を出す=わかる」となってしまいます。

 理由がわからなくても正解が出れば、自分はわかっているんだという考えは、公式やテクニックを丸暗記して問題を解く事はOKと言う事なります。

 さらに、どんな手段を使っても合格すれば、自分は実力があるんだ、勉強もよくわかっているんだと勘違いする子も出てきます。本当に実力がある子は、自分ができないこと、十分わかっていないことを知っています。だから、合格後も伸びるのです。

 少し前の授業でのある1人の中学生の話です。すでに教わって解き方(公式)を知っている問題がありました。他の子は知りません。ちょっと難問ではありますが、すぐ解ける問題です。その子は数分で解いてしまいました。

 私は理由をわかっていないと思い。「どうしてそれで解けるの?」と聞くと、「公式を覚えてしまったから。」と言い、考え始めました。

 その子は1年ほど前には「覚えていればすぐ解けるのに、どうして理由を考えなければいけないのですか?」と言っていた子です。今では「説明できないと答が出ても気持ちが悪い。」と言っています。その子は、凄く伸びました。

 世の中で一流と言われる人たちは、どんなに良い結果が出ても、「わかってる。」とか「極めました。」とは言いません。だから、伸びて、伸びて、一流になり、これからも伸び続けるのです。

 「わかってる。」を目指して最善を尽くす。しかし、「わかってる。」にはなれないのです。だから、人は頑張り続けることができ、伸び続けるのではないでしょうか。


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偏差値を上げる方法 [◆教育の役割 「教育は日本を変える」]

先日、中学生が授業終了後にやってきて・・・

塾生「先生、聞きたいことがあるんです。」
私 「何?」
塾生「数学の偏差値はどうすれば上がるんですか?」
私 「それは、偏差値を上げようとしないことだよ。」
私 「偏差値を上げる方法はあるけれど、本当に学力をつけたいのなら偏差値を上げようとしないこと。」


偏差値は模擬テスト等のテストでの学力の指標であり、入試本番で何点取れるかの目安となります。したがって、偏差値を受験校の合格確率判定に使用します。もちろん、模擬テストを受けるメリットは他にもあり、次のようなことが考えられます。

①受験本番のための練習になる。時間配分、解答する順番、高得点を取るための練習。
②受験勉強の目標となる。日々の受験勉強における目標とすることで努力の継続につながる。
③模擬テスト対策として学習することで学力をつける。試験範囲が『3年間の総合』となることもあり、事前に模擬テスト対策として学習することが困難であるが、理科と社会ならば単元ごとの学習が可能である。出題されなくても「この単元からの出題ならばできる。」という学習を継続することが、本番に向けての学力アップに結びつく。

ただ、やり直しをすることには注意が必要です。それは時間がかかるかもしれないからです。しかも、時間をかけても解けないかもしれないからです。

例えば、数学の空間図形の最後の問題は難しいことが多いのですが、それを数学の苦手な受験生が解き直すことは、時間がかかる事が予想されます。解答解説を見てそれを理解することができれば良いのですが、それも難しいようならばやり直す必要はありません。目的は合格であり、満点ではありません。合格に必要な得点が満点でないならば、1問落としても問題ありません。

全て完全にやり直すことがメリットになる受験生は、偏差値65以上を目指す受験生です。偏差値60を目指すならば9割、偏差値55を目指すなら8割、偏差値55を目指すなら7割を目標に解き直すと良いと思います。偏差値50を目指すなら難しい問題のやり直しで時間を使うなら、基本問題を繰り返しやり直した方が有効に時間を使えると思います。


さて、それでは学力をつけて偏差値を上げるためにですが・・・

まず、偏差値は上げるのではなく上がるものなので、「偏差値を上げようとしない」と塾生には伝えたのです。
ではどうすれば上がるかと言うと、“授業に集中する”ことです。

原則(指導者に問題が無い場合)は、授業中に理解できなければ家庭学習で理解することはできません。そして、授業で学んだ内容を身に付けるのが家庭学習です。家庭学習は“やり抜く”ことが大切で、一度学んだ内容を何も見ないで説明できること。全て解けるようにすることです。

「学力=質×量」です。質が悪ければ時間をかけても学力はつきませんし、勉強量が少なくても身に付きません。

授業で良質な考えを得て、家庭学習で大量の問題を解くのです。だから、“授業に集中する”ことが必要です。

そうすると、いつの間にか偏差値は上がるのです。

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伸びる人、伸びない人④ “釈迦に説法”は有り! [◆教育の役割 「教育は日本を変える」]

 『釈迦に説法』ということわざがあります。調べると「その道のことを知り尽くしている人に、それを教しえようとする愚かさのたとえ。」と出てきますが、教えようとするから愚かになるのではないでしょうか。

 中学生に「6÷2=3になるんだよ。わかった。」と教えることは愚かになるかもしれませんが、「6÷2=3になるんだよ。どうして?」と理由を考えさせたり、わかっているかどうかをチェックしたりすることは愚かとは思いません。

 その道のことを知り尽くしている人に、それに対する自分の考えや思いを伝えることは愚かではなく、その話の中には、その道を知り尽くしている人にとっても参考になる事があると思うのです。

 しかも、その道のことを知り尽くしている人に、その道の話をすると良く聞いてくれたりします。きっと、知り尽くしていると思っていないのではないでしょうか。だから、益々その道を極めることに近づいていけるのかなと思うのです。

 『釈迦に説法』は有り!と思うのです。説法をする方もされる方も勉強になると考えるからです。相手がお釈迦様だから説法をするのはやめようと、説法をしなければ何も生まれません。そもそも、相手がお釈迦様かどうかわかりません。それを気にしていたら何も言えなくなってしまいます。

 私は、相手がどんなに偉い人でも思っていることを正直に話そうと思っています。そして、おかしいものはおかしい、正しいものは正しいと言っているつもりです。本当に偉い人は受け止めてくれて、助言をしてくれるものですが、結構「わかっている」ようで、わかっていない人は多くいるものです。お釈迦様かどうかを吟味するよりも、説法をしてしまった方が良い方向に物事が進みます。

 自分の方が詳しく知っていることこそほど聞く耳を持ち、話してくれる方に対して感謝の気持ちを持ちたいものです。


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伸びる人、伸びない人③ “わかってます”の壁を取り払え! [◆教育の役割 「教育は日本を変える」]

 わかっているのに話を聞くことができる人は、伸びる人です。
 わかっていないのに話を聞けない人は、伸びない人です。

 私は「STEP勇気づけセミナー」という責任感のある自律した子供を育むための、親向けのセミナーのリーダーをしています。

 この「STEP勇気づけセミナー」と出会ったのは昭和の時代ですから30年以上前になります。まずセミナーを受講、その後リーダー研修を受けてリーダーの資格を取りました。

 それから何度かセミナーを開催して、いぶき学院でセミナーを開催したいと本部に連絡したところ「しばらく開催していないので、リーダー研修をもう一度受けた方がいい。」と言われ、受けなくても「わかってるよ!」と心の中で叫ぶ自分がありました。渋々、1泊2日のリーダー研修に行くことに・・・。

 その時の受講者は私を含めて5人ほどだったと記憶しています。もともと「STEP勇気づけセミナー」は多くても10人程度で行うものですので、リーダー研修も少人数である事は予想していました。

 その時の研修担当はTさんで、そのTさんの話を聞き、研修を受け、自分が「わかってる。」と思っていたことが根底か覆されました。全然解っていない自分に気づくとともに、「STEP勇気づけセミナー」の奥の深さを知り、本当に叩きのめされた感がありました。「わかってる。」は「わかってない。」なのです。(Tさんは凄い人です。私は恩人であり師匠と思っています。)

 「わかってる。」と思ったら、それ以上、それについて学ぼうという意思は消えます。「わかってる。」と思っていることについて、間違っていたり知識不足だったりすることを知るのが怖いのです。自信がある事だから、他から色々言われたくないし聞きたくない。それで自信を喪失したくないからです。

 むしろ「わかってる。」と思っていることこそ、色々な人から話を聞き学ぶ必要があるのです。それは、「わかっている。」ということを言い訳に学ぶことをやめている自分を知り、「わかっている。」ことを本当の自分の強みにするためです。

 自信は大切ですが、自信過剰は命とりです。

 物事を極めようとしている人は「わかってる。」とは絶対言わないはずです。

 「わかってる。」という壁をつくり、成長を止めてはいけません。常に“未熟な自分”と向き合って自分を高めたいものです。


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人は立ち上がる度に成長する [◆教育の役割 「教育は日本を変える」]

 公立高校の選抜方法で「神奈川方式」という制度があった。

 今は廃止されているのだが、中学2年生時に行われるアチーブメントテスト(ア・テスト)の結果が、県立高校の合否判定に25%関わっていた。さらに、中学2年生の内申点(学校の成績)も判定に使われたため、中学3年生になった時には40%以上が決まっていた。中学3年生の内申点が決定すると、本番の入試前に70%ほど決まっていたと思う。

 当時私は神奈川県でも授業をしていたので、子供達からは「先生に××高校には絶対受からないと言われた。」とか、「先生に○○高校を受けなさいと言われた。」、「うちの中学で今まで◇◇高校を受験して落ちた人がいないんだって。」と言う話を聞いた。

 完全に輪切り状態で、ア・テストと中2の内申点で受験する県立高校が決められていたと言っても言い過ぎではないと思う。公立中学の先生はア・テストの結果の良い生徒から順に並べて、受験校を割り振っていたのではないかと思う。違っていたら、申し訳ないがそうとしか考えられない。

 以前の神奈川県の県立高校入試は、結果がわかっている高校入試だった。

 当時私は神奈川県の某教室を任されており、中学3年生のやる気を促す試みをするのだが、結果がわかっていては頑張る気にならないのは当然のこと。やる気を出す試みもしたのだがどうにもならなかった。受験後に起こる『成長』と言う化学反応が、神奈川県の受験生に起こることはほとんど無かった。

 それに比べて結果がわからない受験をしていた東京都の受験生たちは、合格できるかどうかわからない志望校を目指し、頑張ることで成長して行く姿は逞しく感じたものだ。


 人生は結果がわからない。だから人は頑張れる。

 失敗しても立ち上がれるのは、次の結果がわからないからだ。そして立ち上がる度に人は強くなっていく。諦めずに頑張り続けことが成功を呼び込む。

 成功の法則は成功するまで諦めないことだ。


 諦めずに頑張るから人は成長する。

 できない理由探し諦めていない振りをしたり、言い訳をして頑張らないことを正当化したりしてはいけない。

 できなくても失敗しても構わない。
 
 できない理由探しや言い訳をしている暇があるなら、今を一生懸命生きることだ。

 目の前の結果より大切なものがある。

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世の中に“無駄”なものは無い!? [◆教育の役割 「教育は日本を変える」]

 私は世の中に“無駄”なものは無いと思う。

 いや、正確に言うと“無駄”と思うことでも意味があり、それらは別の形で活かせると思う。


 今、いぶき学院もお休みを本日(8/17)までいただいているが、この休みの期間を“無駄”にならないように、有意義に過ごせるようにと考えて休みに入るがそうは上手く行かない。終わってみると、無計画に過ごしてしまい“無駄”に時が過ぎたと思ってしまう。

 しかし、過ぎたことをあれこれ考え「失敗した」と思ったら辛くなる。だから、その“無駄”と思う時間が有意義だと考えたい。ゆっくり時間を使えたし、仕事のことも少しばかり忘れることもできた。

 そして“無駄”なことから自分なりに考え得ることもあった。決して“無駄”ではない。


 凄く忙しい時、効率良く仕事をしていかないと事がうまく運ばない。息つく間もなく働いていると、気持ちにも余裕が無くなり細かな配慮や気遣いが難しくなる。すると結果的に仕事は終わっても何か釈然としない気持ちが残る。

 やはり、ゆとりや遊びが必要だ。それがあって全てが上手く行く。そのゆとりや遊びは“無駄”ではないと思う。


 話が支離滅裂になってしまうが、“無駄”なことは有ると思う。これも正確に言うと“無駄”だと思ったら本当に“無駄”なのだ。

 “無駄”をつくるのは自分自身であり、“無駄”を“学び”に変えるのも自分自身だと思う。

 色々な“無駄”、お金、時間、努力・・・。これらを無くすためには、目的を考えることだと思う。お金の使い道、時間の使い方、努力の方向性だ。これらが明確ならば“無駄”なものは無くなるはずだ。

 受験も同じで、“無駄”な努力になるかならないかは合否ではなく、目的を持って受験できるかどうかだ。目的を持ち然るべき努力をしたならば、結果はどうあれ未来の自分にプラスになる。受験に真剣に向き合い最善を尽くすことが大事だと思う。

 “無駄”とするか“学び”とするかは自分次第なのだ。

 結局、世の中に“無駄”なものは無いと思う。


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伸びる人、伸びない人②  “わかってる”子は伸びない [◆教育の役割 「教育は日本を変える」]

 親が話をしようとすると、「わかってるよ!」と言って話を聞かないケースがあります。これは、「本当にわかっている。」と思って言うこともあると思いますが、話を遮断する目的、「うるさいな、わかったから黙っててよ。」と言うことも少なくないと思います。それも別の意味で問題がありますが、ここでは「私は、それについて理解しています。」という意味で使うケースを取りあげてみようと思います。

 私は基本的に学校より先に進めているのですが、学校が先行するケースがあります。学校が先行しても、切り口を変えれば新しいこととして授業はできますし、理由を突き詰めていくことはできますので授業を行うこと自体に問題は有りません。

 もちろん復習の授業として考えれば、学習した内容を再び学ぶことについては悪いことではありません。

 ところが、稀に「もう学校でやったから、わかってる。」と思ってしまい、話を聞かなくなる子がいます。その子達の多くは勉強が苦手で、理由よりも正解を優先する傾向が強い子たちです。

 だからこそ尚更、しっかり話を聞いて考えて理由を説明できるようになってもらいたいのです。

 逆に塾で先に学習した内容を「わかってる。」とならずに学校の授業を、しっかりと聞くことが重要である事は言うまでも有りません。

 私立中に通う中1,2年生の問い合わせが多くなっています。

 勉強が伸び悩んでいるからです。その一番多い原因は中学受験勉強が暗記型だったことです。

 合格を目的とした学習のため、公式やテクニックの暗記、解き方への執着が問題です。

 もちろん、いぶき学院では中学受験から大学受験まで、できればいいという指導方針はありません。合格実績を掲げると合格させるために、手っ取り早い方法に走ってしまうのです。そのような指導を受けた子達は、正解が出たことを「わかった。」と勘違いしています。

 「縦が5㎝、横が6㎝の長方形の面積はいくつ?」→「6㎠」
 「どうして?」→「縦かける横だから」
 「どうして?」→「公式だから。」では説明になりません。

 正解の出し方が「わかった。」子達は、理由を考える必要も、それ以上話を聞く必要もないのです。

 正解を得ても「わかった。」と思っていない子達は、理由を考えようとするし、話も聞こうとします。だから伸びるのです。そして将来の可能性は広まります。


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伸びる人、伸びない人① [◆教育の役割 「教育は日本を変える」]

 授業では、子供たちが理解しているかどうかのチェックが重要です。

 チェックは話の聞き方と顔つき、ノートの書き方、発言、問題演習などで行います。10人ほどのグループ指導でも全員が、一回の説明で理解することは難しいことです。
 
 高いレベルを目指すためには、同じ正解であってもより高いレベルでの理解に基づくものであって欲しいのです。そこを目指すために、どこまでのレベルで正解を得ているかを見極める目が我々には求められるのです。そのために1人ひとりの性格、基礎学力、得手不得手、志望校、目標点を把握してそれに応じた対応をしていくのです。

 クラスの中で数人わかっていないと気づくと、もう一度全員に前を向かせて説明をします。同じ説明ではなく、見方や考え方を変えたり、具体例を交えたりして説明するのです。

 ところが!

 わかっていない子ほど説明を聞けないのです。

 問題演習の途中で「前を向いて!」と声を掛けると、素早く顔を上げる子と問題演習を継続しようとして前を向けない子にわかれます。わかっていない子は他の子よりスピードが遅く、解き終わっていないということもあり演習を継続する傾向は強いですが、それでも前を向ける子はいます。

 わかっていない子はもちろん、解き終わっていない子には“遅い”原因があります。だからこそ前を向いて話を聞く必要があります。

 わかっていない子は、わかっていないのに話を聞けないため2回目のチャンスも活かせず、解らないままとなります。
 
 しかし、わかっている子は、わかっているのに話を聞くことになり理解を深めると同時に授業中に学力が定着していきます。

 ということで、わかっている子とわかっていない子の差はどんどん開いていくのです。

 ですから、話を聞いて授業中にわかってしまうようにすることが大切です。そのためには、速くノートを取る事に心がけ、書いている(問題を解いている)途中でも、先生が説明を始めたら話を聞くことに集中することです。

 わかっているのに話を聞くことができる人は、伸びる人です。
 わかっていないのに話を聞けない人は、伸びない人です。

 わかっている話だと思っても話を聞くことで、自分の中の確認になったり、改めて考え直すきっかけになり、別の見方や考え方が生まれたりすることがあります。それを成長と言うのではないでしょうか。


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わからなければ覚えればいい? [◆教育の役割 「教育は日本を変える」]

 25年ほど前のこと、私は区立中学2年生の歴史の定期試験対策授業を行いました。その結果、4人の女子生徒全員が90点以上の得点を取り学年で5位以内に入り「5」の成績がついたと記憶しています。

 その時にどんな学習をしたかというと、“1問1答”の問題集を5冊ほど用意し、それをやらせただけなのです。その当時は「日露戦争の後に結ばれた条約を何と言うか?」という“1問1答”の問題で語句を覚えていれば点数が取れたのです。その事件がどうして起きたのかとか、その結果どうなったのかよりも、語句の方が得点につながった時代だったのです。

 通常の授業では、その出来事の背景やその後の世の中に及ぼす影響などの話しをしましたが、試験で点数を取るのには“1問1答”は効果的だったのです。「わからなくても覚えてしまえ」で乗り切れた時代だったのは間違いありません。

 しかし今、社会が必要としている人材は「理由はわからないけど得点を取れた人」、「覚えること(丸暗記)で合格した人」ではありません。センター試験が新しい試験に変わり、暗記型の学習法で大学に合格する時代ではなくなるのです。それに準じて高校や中学の学習も思考型へ変わって行きます。

 あれから25年経ち、彼女たちは40代となり何人かは10代の子を持つ母親になっているはずです。我が子に、もし「“1問1答”をやりなさい。」とか、「覚えればできるはずよ。」、「社会は暗記教科なのよ。」と言っているとしたら怖いことです。その様に指導したつもりはないのですが、それで高得点を取れたと言う成功体験を我が子に伝えることは当然あるはずです。

 又、その時代の子供たちが今、小中学校の先生になり、「わからない事は覚えなさい。」、「暗記すればいいんだよ。」、「公式を覚えなさい。」という指導をしていたら、さらに怖いです。

 子供達は点数を取りたい、結果を出したいという気持ちから、「解らなければ覚えてしまえ。」、「答が合っていればそれでいい。」となってしまうのです。

 都立上位高校に合格した塾生が「暗記や記憶が役に立たないことがわかった。」と言っています。中学時代は、暗記と記憶で高得点を取ることができたのですが、高校でのハイペースの授業に暗記では間に合わないのです。やり方を一つ一つ覚えていては全ての問題に対応できませんし、少し問題が変わっただけで解くことができません。なぜならやり方を覚えているからです。できる子たちはやり方を覚えるのではなく、その本質を理解します。答えを出そうとするのではなく、問題に何が書いてあるかを整理しわかろうとします。それにより、初めて見る問題を含め多くの問題をクリアできるのです。

 我々が子供たちに伝えていくことは、すぐに結果を出そうとしない(結果で判断しない)こと、答えを出そうとするのではなく、問題の意味を考えて理解することが正解につながること。(知識は必要で覚えることは重要ですが、)暗記教科は無いということ。丸暗記はその場限りのもの、覚えればできるは未来にはつながらないこと。
 
 問題に書いてあること(=今起きていること)について考えを深めると、見えてこなかったものが見えてくるはずです。

 わからないから誰かに“方法”教えてもらい、それを真似してその場、その時を凌ぐ人生を我々は目指しているのではないはずです。誰も成し遂げたことのない、新しいものを創造する人生が子供たちの未来にあるはずです。目的を持ち、よく見て、考えること。そして判断して実行する。そして失敗する。それを受け入れて次つなげるとその先に自分自身の未来が待っているはずです。

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